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エデンの園

創世記第二章の七節には、土のちりで人が造られたとあります。八節、九節に、次のように書いてあります。 「主なる神は東のかた、エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた。また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪...

聖書に次のようにあります。 「罪を犯す者は、悪魔から出た者である。悪魔は初めから罪を犯しているからである。神の子が現われたのは、悪魔のわざを滅ぼしてしまうためである。すべて神から生まれた者は、罪を犯さない。神の種がその人にとどまっているからである。また、その人は神から生まれ...

アウシュビッツが意味すること

イエスは次のように述べています。 「そこで、あなたがたに言う。誰でも人の前で私を受け入れる者を、人の子も神の使いたちの前で受け入れるであろう。しかし、人の前で私を拒む者は、神の使いたちの前で拒まれるであろう」(ルカによる福音書12・8、9)。...

命の木と善悪を知る木

創世記第二章の七節に土のちりで人が造られたとありますが、続いて八節、九節に次のように書いています。 「主なる神は東のかたに、エデンに一つの園をもうけて、その造った人をそこにおかれた。また、主なる神は見て美しく食べるに良いすべての木を土から生えさせ、さらに園の中央に命の木と、...

エホバが救い

新約聖書ヘブル人への手紙に、次のように述べています。 「こういう訳で、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、一切の重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、私たちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。...

罪の下に閉じ込められた人間

イザヤ書に次のように書いています。 「主は言われた。あなたは行ってこの民にこう言いなさい。あなたがたは繰り返し聞くがよい。しかし、悟ってはならない。あなたがたは繰り返し見るがよい。しかし、分かってはならない。あなたはこの民の心を鈍くし、その耳を聞こえにくくし、その目を閉ざし...

神の愛

第一に考えて頂きたいことは、人間がこの世に生まれてきたことです。これは自分のためではないことは明らかです。自分という意識は生まれた後に発生した意識です。従って、自分が生まれたという言い方は、成立しないのです。自分が生まれたということは有りえないのです。...

罪と掟

聖書は次のように書いています。 「兄弟たちよ、私たちの主イエス・キリストにあって、私があなたがたにつき持っている誇りにかけて言うが、私は日々死んでいるのである」(コリント人への第一の手紙15・31)。 パウロはイエスの心境を非常に良く知っていたのです。直々にイエスに導かれて...

初めからある永遠の命

聖書に次のように書いてあります。 「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手で触ったもの、即ち、いのちの言についてーこのいのちが現われたので、この永遠のいのちを私たちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、...

欲望を克服する

パウロは次のように述べています。「なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ以外にない。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう」(ローマ人への手紙8・13)。 肉に従って生きるとありますが、英訳では(live after the...

神がこの世を造られたと言いますが、この世とは何であるかということです。魂がこの世に遣わされた。魂が何をするために、この世に遣わされたのか。イエスがヨハネによる福音書で、「私を遣わした方の御心をなすためだ」と言っています。...

人間とは何者か

「人間が何者だから、これを御心に留められるのだろうか」というヘブル人への手紙の第二章六節の言葉があります。人間がどういう理由があって、神が人間に注意するのかということです。神が人間に注意するということは、良い意味と悪い意味と二つの面があるのです。...

神が命じている大いなる仕事

ヘブル人への手紙では、「信仰の実践者にして、また、それを完成した人であるナザレのイエスを見よ」と言っていますが、このナザレのイエスによって、人性がキリストとして完成されたのです。人性がそのままキリストに立ったのです。 だから、イエスがキリストであることを信じる者は、神から生...

愛することと愛されること

聖書に次のようにあります。 「主なる神は言われた、『人が一人でいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう』。そして、主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人の所に連れてきて、彼がどんな名をつけるのかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その...

御子

パウロは次のように述べています。 「神は、私たちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。私たちは、この御子によって贖い、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。 御子は、見えない神の形であって、すべての造られたものに先だって生まれた方である。...

四つの生き物の賛美

人間とは何であるか。ヨハネの黙示録に、次のように書いています。 「すると、たちまち、私は御霊に感じた。見よ、御座が天に設けられており、その御座にいます方があった。その座にいます方は、碧玉や赤めのうのように見え、また、御座のまわりには、緑玉のように見える虹が現われていた。また...

心を生き返らせる

詩篇に、「神を求める者よ、あなたがたの心を生き返らせよ」(6・32)という言葉があります。 異邦人が神を求めるということは、本当に難しい上に難しいことです。難しいというのは、やり方が難しいのではなくて、神の心に調和することが難しいのです。神の御心と、私たちの心とが調和するこ...

死を超克する

パウロが次のように述べています。 「そして、一度だけ死ぬこと、死んだ後、裁きを受けることが、人間に定まっているように、キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身を捧げられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現われて、救いを与えられるの...

五官はランプ

イエスの言葉の中に、「もし、あなたの内なる光が暗ければ、その暗さはどんなであろう」とあります(マタイによる福音書6・23)。内の光とは何かと言いますと、人間自身の命が人間の光になっているのです。これが未生以前の心です。植えられた御言葉とヤコブが言っているのはこのことです。人...

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