top of page

はじめに

人間が死ぬというのはなぜか。自分の気持ちで死ぬのです。自分の気持ちで勝手に死ぬのです。命を見つけることができないので、死なねばならないことになるのです。それだけのことです。 イエス・キリストの復活によって、人間の命が新しくなった。これが紀元元年です。仮に、イエス・キリストの...

矛盾

人間は現在生きている自分を、どうしてもかわいがりたいと思うのです。その自分から抜け出さなければならないのに、自分を愛している。これはまさに、肉の人間が地獄であることを証明しているのです。 人間が救われるということは、あるべからざるほどの重大な栄光にあずかることですから、少々...

無明のジャングル

人間はすでにキリストによって救われているのです。彼の十字架と復活によって、神に帰っているのです。このことは、人間が生かされているということに基準をおいて、素直に考えますと、決して難しいことではないのですが、何か人間が現世に生きていることに、価値があると考えているから分からな...

命の木と善悪を知る木

命の木と善悪を知る木 聖書に次のように書いています。 「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹き入れられた。そこで人は生きた者となった。主なる神は東の方、エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた。また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土...

天のエルサレム

パウロは「ああ深いかな、神の知恵と知識とは」という言い方をしています。誠に神の知恵、その知識の富は、とても普通の人間の思考範囲では考えることができないものです。 十字架によって、今の天と地とが廃棄されてしまっているのです。これは原則が破棄されてしまったということです。...

宗教と真理

パウロは次のように述べています。 「すなわち、あなたがたは以前の生活に属する、情欲に迷って滅びに行く古き人を脱ぎ捨て、心の深みまで新たにされて、真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである」(エペソ人への手紙4・22〜24)。...

人間の尊厳性

信仰の完成という問題は、神の人間創造に対する目的の完成と、同じ意味になるのです。人間創造の目的が人間完成であって、私たちはそれを目当てにするのでなかったら、救いが成立しないのです。神を信じるということは、神の御心に適うことです。神が人間を義とするのは、神自身の義に人間の心が...

神の深み

歴史は神の物語(God's story)です。これは彼の物語(his story)と言ってもいいのです。歴史はヒストリー(history)ですが、これは、his storyに大きな関係があると考えられるのです。 歴史だけではありません。森羅万象がヒズストーリーです。歴史の流...

業観の縁起

親子であろうが、夫婦であろうが、本人が神に帰らなければ魂の救いはないのです。誰かが代わって帰ってあげるという訳にはいかないのです。 ただ夫婦の場合だけは、特別のことがありうるのです。本当にその夫婦が愛し合っていて、本当に一つになっているなら、特例が行われる可能性はありますが...

とこしえに保つ神の言

人間と神との関係は、非常にデリケートなものであって、宗教で考えるようなものとは違います。人間と神との関係は、愛する者と愛せられる者との関係であって、神は自分の形のように人を創造した。即ち男と女とに創造したと書かれているのです(創世記1・27)。...

死に勝つ生き方

聖書に次のように書いています。 「キリストがこの世に来られた時、次のように言われた。『あなたは、いけにえや捧げ物を望まないで、私のために、体を供えて下さった。あなたは燔祭や罪祭を好まれなかった』」(ヘブル人への手紙10・5、6)。...

祈り

イエスは山上の垂訓で、次のように言っています。 「あなたが祈る時、自分の部屋に入り、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れたことを見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。また、祈る場合、異邦人のようにくどくどと祈るな」(マタイによる...

剣を投じる

聖書に次のように書いています。 「地上に平和をもたらすために、私が来たと思うな。平和ではなく、剣を投げ込むために来たのである。私が来たのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をその姑と仲たがいさせるためである。そして、家の者が、その人の敵となるであろう。...

聖書に次のようにあります。 「父が私を愛されたように、私もあなたがたを愛したのである。私の愛の内にいなさい」(ヨハネによる福音書15・9)。 人間は愛の対象として造られたのです。もう一つは神の御業を行うものとして造られたのです。例えば、イエスが父の御業を行ったように、神の代...

罪の下に売られた人間

欧米人でも、また、アジア、アフリカの人々、中南米の人々でも、人間が罪人であるという漠然とした概念を持っているのです。日本人でも、罪人という言い方はしませんが、無明という言い方をしています。これは同じことになるのです。 無明煩悩と言えば、罪の妄念を意味します。平安朝の随筆や歌...

魂が行く所

人間の魂の行動過程は、あらかじめ肉体的存在の人間の行動過程によって教えられているのです。自分の魂の状態をよく見て、人間が肉体的にどういう生活をしているのかを見ていくと分かるのです。現在の人間が結婚するということ、社会常識や知識人を人間自身が正しいものとして受け止めている気持...

この世を友としてはいけない

聖書に次のように書いています。 「不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを知らないのか。おおよそ世の友となろう者は、自らを神とするのである。それとも、『神は、私たちの内に住まわせた霊を、妬むほどに愛しておられる』と聖書に書いてあるのは、むなしい言葉だと思うの...

新しいマンション

「父の御心を行う者だけが天国へ入る」とイエスが言っています。父の御心は新天新地を実現することです。現世は譬である。これが基本的な父の御心です。皆様が父の御心を行おうと本当にお考えになったら、現世が譬であることをよくよく承知しなければならないのです。...

新しい人を着る

パウロは次のように述べています。 「すなわち、あなたがたは以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、心の深みまで新にされて、真の義と聖とをそなえた神にかたどりて造られた、新しい人を着るべきである」(エペソ人への手紙4・22〜24)。...

1
2
bottom of page