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はじめに

皆様が現在生きていらっしゃる命は、死ななければならない命です。人間は、死ななければならないことが分かっていながら、死ななければならない命を、自分の命だと思い込んでいるのです。 なぜそういう愚かなことをしているのでしょうか。死ぬか、死なないか分からない。ひょっとしたら死ぬかも...

悪い業と良い業

イエスは次のように述べています。 「私たちは、私を遣わされた方のみわざを昼の間にしなければならない。夜が来る。すると誰も働けなくなる。私はこの世にいる間は世の光である」(ヨハネによる福音書9・4、5)。 イエスを遣わした方のわざを私たちは生きているうちにしなければならないと...

心の深み

人祖アダムが罪を犯したのです。アダムが罪を犯したから死んだのです。善悪の木の実を食べたら必ず死ぬと言われた言葉のとおりに、アダムは罪に陥って死んだのです ところが、これはいわく言い難しと言わなければならないような非常に深いニュアンスがあるのです。...

世の光

イエスは「私は、この世にいる間は世の光である」と言っています(ヨハネによる福音書9・5)。イエスが受肉した形でこの世にいる時は、イエスが世の光になっているのです。天へ帰れば天の光になるのです。 目に見える形でこの世にいる時には、目に見える形の光になるのです。目に見える形の光...

心を更えて別人になる

人間が現世に生きている状態は、動物として生きているのです。私たちは動物として生きているという条件において、この世に送り出されたのですが、現在の三次元の時代というのは、神が御使いを通して語りたもうている時代であって、御使を通して語られているという条件下において、人間として生活...

相対の世界

創世記に次のように書いています。 「神は『光あれ』と言われた。すると光があった。神はその光を見て良しとされた。神はその光と闇とを分けられた」(1・3、4)。 本来宇宙は一つであったのです。初めに天地が造られたという初めの前があったのです。これは闇から光が分けられなかった時の...

真実

イエスは「自分から出たことを語る者は、自分の栄光を求めるが、自分を遣わされた方の栄光を求める者は真実であって、その人の内には偽りがない」(ヨハネによる福音書7・18)と言っています。 真実を語り真実を教えるとはどういうことか。またイエス自身がどのように人々を教えていたか、イ...

信仰

イエスは「神を信じなさい」(マルコによる福音書11・22)と言っています。これを永井訳では、「神の信仰を持て」と訳されています。神の信仰を人間が持つということは、普通の人間の感覚では考えられないことです。 その次にイエスは言っています。...

異邦人

聖書を勉強しても信仰が順調に板につかない。いっこうにものにならないと感じている人が多いでしょう。ものにならないということに本当に気づいている人は、必ずものになる人です。 ものにならないという言い方でも、頭で言っている場合と心で言っている場合とがあるのです。...

不思議な地球

人間が考えている天体に関する考え方というものは、現在の天文学的な概念に基づいてでなければ考えることはできないのです。 天文学的な基礎概念というのは肉の思いの産物であって、無明煩悩の人間、罪人である人間が罪人意識に立脚して、その考え方で自然科学的概念が成立しているのです。...

ノアの洪水

まず、現在肉体を持っている人間は、もはや存在しないということをお話ししたいと思います。 第一に言わなければならないのは、ノアの洪水という事件です。ノアの洪水の原因になった人間の状態は、現在の時点から考えますと、理解ができないような事件です。...

本当の父

人間は自分自身に生きています。自分の気持ちで生きています。自分のしたいことをして自分自身の人生を自分で楽しみたいと思うので、自分が生きていることにはなるのですが、これは最も愚かなことです。 ちょっと考えると、自分は自由であってしたいことがやれる。自分が生きているのだから、自...

羊かやぎか

聖書に羊とやぎについて書いています。羊とやぎとの関係ですが、何が羊で何がやぎになるのか。これは聖書に書いてあるけれど、見つけ出すことがなかなか難しいのです。 宗教観念で見ても全く分からないような書き方になっているのです。聖書の言葉の真意というものを本当に弁えようと思いますと...

存疑評決

山上の垂訓はマタイによる福音書の第五章から始まっていますが、第五章の三節から十節までに、九つの幸いについて説明しています。 幸いとはどういうことか。イエスは「ここの貧しい人たちはさいわいである。天国は彼らのものである」と言っているのです。以下八つの幸いについて述べています。...

神の国と神の義を求める

聖書に「汝らまず神の国と神の義を求めよ」とあります(マタイによる福音書6・33)。その後には、「そうすればこれらのものはすべて与えられるであろう」とあります。これらのものとは、衣食住に関するすべてということです。人間は現世に生きています。毎日、何を飲み、何を食べようかとして...

しかりと否

聖書に次のようにあります。 「さて、私の兄弟たちよ。何はともあれ、誓いをしてはならない。天をさしても、地をさしても、あるいはその他のどんな誓いによっても、一切誓ってはならない。むしろ『しかり』を『しかり』とし、『否』を『否』としなさい。そうしないとあなた方は裁きを受けること...

現象世界はなぜできたか

地のちりで造られた人間というものは、現在の肉体を持っている人間ではないのです。地のちりである人間に形が与えられたのです。 形を与えられたということが、人間が土のちりで造られたというように考えていますが、そうではないのです。...

ラクダの信仰

パウロは次のように言っています。 「兄弟たちよ。私の心の願い、彼らのために神にささげる祈りは、彼らが救われることである。私は彼らが神に対して熱心であることは証するが、その熱心は深い知識によるものではない。 なぜなら彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に...

釈尊の悟りと新約聖書の不思議な関係

現代の人間存在を根底から検討しなおさなければならないのです。そのためにはどうしても般若心経の原点をしっかりつかまえることが必要です。 般若心経という文化財を、できるだけ強く大きく取り上げる必要があるのです。般若心経と聖書を絶対にするくらいの考え方を持たねばならないのです。...

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