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はじめに

現代人に一番分からないことは、あるということです。存在ということが分からないのです。実存と本当に言えるものが何なのか、分からないのです。 それは最も簡単な問題であるはずですが、現代人には全く分からないのです。だから、ナチュラルに生きようと考えても、実存が分からないために、本...

初めに神は天と地を創造された

物事には知るという段階と、悟るという段階があります。知るにしても、悟るにしても、私たち自身がしているのですから、自分自身が主体になって、話を聞いているのです。まず、話を聞いて、知った。話を聞いて知るというのは、ああそうかということかと、頭で知るのです。...

狡猾

ユダヤ人が聖書を曲解したということは、人間歴史に決定的な影響を与えてしまったのです。聖書はモーセが間違えたほど難しいものです。しかし、私たちはどうしても聖書を正しく理解しなければいけないのです。 やる気がない人はできないでしょう。皆様ははっきり言いますと、男の人は身の程を知...

純粋経験

私たちに五つの命が自分の中にあることを知って、それをマインドによって自由に操作することができる。これが人の子です。人の子と人間とは、ここが違うのです。人の子だけが神の元に帰れるのです。 「人の子よ帰れ」(詩篇90・3)と神は言っています。人の子はその呼びかけに応じられるので...

相愛する

山上の垂訓(マタイによる福音書第五章から七章)の中心命題は何であるかと言いますと、「汝ら、まず、神の国と神の義を求めよ」ということです。 汝らというのは、直接にはユダヤ人をさすのです。神の国を求めるということが、実はユダヤ人はもちろんのこと、全人類に対する人間の責任であり、...

死と黄泉からの解放

信仰とは神の考え方です。神の考え方でなかったら信仰とは言えないのです。神の考え方に同意すること、同調することが信仰であって、自分の信じ方がいいとか悪いとか言ってもだめです。 死とは何か。死というのは、罪の則の価です。神が定めた価です。これは客観的事実です。罪人の本質、本性が...

自分を見つける

人間を霊魂として見ると、初めからある命の言になるのです。見ている、聞いていることが、初めから命の言を見ているのです。命の言を聞いているのです。これは間違いがないのです。 ところが、一般の人間は命の言を聞かないで、女を抱いている。女というのはないのです。命の言があるだけです。...

イエス・キリストの再臨

エネルギーには、生きているというエネルギーと、物を考えながら生きるというエネルギーと、二つあります。考えながらというのは、ホーリー・スピリット(Holy spirit)になっているのです。ホモ・サピエンスというのは、はっきり聖霊の宮になっているのです。...

言が肉となった

現在私たちが地球上で生きているということが、そのまま福音を証していますし、神の国、または人間完成、神の教会を既に証していることになるのです。 これについて詳しい説明をしなければなりませんが、「事終わりぬ」という言葉が、十字架上のイエスによって言われたのです(ヨハネによる福音...

土に属する人と天に属する人

パウロは次のように述べています。 「死人の復活も、また同様である。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものに甦り、肉の体で蒔かれ、霊の体に甦るのである。肉の体があるのだから、霊の体もあるわけである。 聖書に『最初の人アダムは生きたものとなった』と書いてあるとおりである。しかし、最後...

聖書に次のように書いています。 「また、ある役人がイエスに尋ねた、『よき師よ、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか』。イエスは言われた、『なぜ私をよき者と言うのか。神一人の他によき者はいない。いましめはあなたの知っているとおりである。姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証を立...

命の命

「人は皆罪を犯したので、神の栄光を受けることができない」(ローマ人への手紙3・23)と聖書にあります。栄光を受けることができないとはどういう意味かというと、神の栄光は現実にあるのですが、それを受けるだけの器量がないという意味です。人間は原罪生活の中で暮らしているので、神の栄...

裏と表

霊には、生霊と死霊とがあります。生霊とはしょうりょうと読みますが、現在生きている人間は生霊です。人間が生きているということが霊です。 「神はその人の内に住まわせた霊を、妬むほどに愛しておられる」(ヤコブへの手紙4・5)とありますが、人生というのは霊です。人間が生きていること...

新しく生まれる

聖書に次のようにあります。 「神は、神を愛する者たち、すなわち、計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、私たちは知っている。 神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それ...

とこしえの命

ヨハネの黙示録に、「また、もう一人の御使いが生ける神の印を持って、日の出る方から上ってくるのを見た」とあります(7・2)。日の出る方とはどこの国かということです。地理的に見ますと、文明国の中でフィリピンと日本が極東になります。フィリピンと日本のどちらが先に日が出るかです。...

生けるパン

神の栄光の機能が肉となった。これを御子と言います。神は肉体を持ち賜わない。しかし、人は肉体を持っている。肉体を持っているために、人間の機能には肉体を持っているという意味でのハンディキャップがあるのです。ハンディキャップがあるということが、神そのものではなくて、神の子であると...

常に喜ぶ

皆様の中に赤ん坊がいるのです。それを大人の皆様が殺しているのです。自分の魂を自分が殺している。魂というのは全くの赤ん坊です。魂が目を覚ましたらいいのです。赤ん坊の状態を見ればいいのです。大人の状態は死人です。赤ん坊はリビング(living)であり、大人の精神状態は死人です。...

現実とは何か

モーセは肉の現実を造り、イエスは肉の現実を消してしまった。霊の現実だけにしてしまったのです。皆様には、肉の現実はもうありません。従って、世間の人間のように働かなければならないということもないのです。信仰の訓練として働くことはありますが、現実が神だということだけがあるのです。...

義とされる

天地が造られたことも、万物が生かされていることも、すべて皆父の御心です。従って、父の御心を理解して、父の御心に生きることができれば、天地の命をそのまま自分の命として生きていることになるのです。 ですから、霊(人生)を渡すことがそのまま、とこしえの命になるのです。現在生きてい...

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