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はじめに

人間は今の自分の命が死ぬに決まっていることが、よく分かっているのです。よく分かっていながら、それをやめることができない。これを原罪というのです。原罪とは何かと言いますと、生まれる前に犯した罪のことです。 アダムがエデンの園でへびの言葉を鵜呑みにした。サーペントというへびに引...

しあわせ

自分自身の存在が無意味であり、無価値であることを確認して、身を引くという考えが日本にあります。私さえ身を引けば、それで四方八方が円満に収まるという考えです。これは一種の自慰行為です。自分自身が犠牲になることによって、誰かを幸福にしてあげようとか、ある事を円満に収めてあげよう...

料理

神の御心と人間の考え方のずれという、重要な問題があります。 パウロが次のように述べています。 「こうして、あなたがたは神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。また、愛のうちに歩きなさい」(エペソ人への手紙5・1、2)。...

マインド

神を信じるという根本的な原理がはっきりしなければ、神に対して責任を持つことができないのです。 何十年も生きていながら、生きていることが分かっていないのです。これは女性が人の奥さんになっていながら、女になっていないことと同じことです。生半可というか、生半熟というか、中途半端な...

主体的と客体的

絶対ということが皆様のものになったら、とても口では言い現わせないような事になるのです。現在、キリストが座っている位に座ることが許されるのです。ところが、これをする人がめったにいないのです。 現実を受け止めることができるのは、人の子しかいないのです。現実が常であって、常の他に...

男と女

女性は話を聞いて直感的に受け取ることは上手ですが、整理することは下手です。女性は生活目的を持っていません。生活目的を持っていないことが、服装に現われています。女性は目的論的な服装ではないのです。ファッションはありますが、目的論的ではありません。...

遺伝子

男の頭は、大体宗教的になっています。原罪の結果、そうなったのです。女は陥罪の被害をそれほど受けていません。男はそれをひどく受けたのです。こういうことは男には分かりません。分からない程、男の頭は悪いのです。 女は頭がありません。ないからいいのです。ハートだけあればいいのです。...

ひがみ根性

仏教では阿弥陀如来の本質が分かりません。従って、救いの本質が分からないのです。いわゆる阿弥陀如来の本願によって人間が救われるという仏教の考え方は、仏説阿弥陀経の真意とは違うようです。現在の浄土真宗で受け取られている感覚ですと、菊池寛が小説に書いているような事になるのです。...

イマジネーション

キリストは地球計画の目的であって、地球計画そのものが神の財産です。創世ということが神の財産です。これは悪魔を自滅させるためでもありますが。同時に神の財産を造るためでもあるのです。 人間は自分のスケールで、キリストを小さく見ているのです。これは皆様に思想がないからです。思想は...

欲望を超克する

人間は何のために生きているのか。文明は肉体人間に奉仕すること、現世における人間生活に奉仕することが、人生全体の根本的な目的であると考えているのです。地球上で人間が生活することが、人間の最高の目的だと考えているのです。 ところが、何のためにこの地球上で人間が生活を営まなければ...

時間はどうしてできたのか

聖書に次のように書いています。 「主なる神は言われた、『見よ、人は我々の一人のようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかもしれない』。 そこで、主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。神は人を追...

朽ちない種

聖書の言葉が命であることが分からないのです。「信じる者にはとこしえの命がある」と、イエスが言っていますが、それは言葉が命だからです。人間の霊魂は神の女になっている。神の命の言葉が精子であって、これを受け取っていない者は魂ではないのです。魂は神の精子を受け取ることが絶対必要で...

ラオデキヤの教会

聖書に次のようにあります。 「ラオデキヤにある教会の御使いに、こう書きおくりなさい。『アァメンたる者、忠実な、誠の証人、神に造られたものの根源である方が、次のように言われる。 私はあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ冷たいか熱いかであってほしい...

レメクの時代

聖書に次のようにあります。 「レメクは二人の妻をめとった。一人の名をアダと言い、もう一人の名はチラと言った。アダはヤバルを産んだ。彼は天幕に住んで、家畜を飼う者の先祖となった。 その弟の名はユバルと言った。彼は琴や笛を執るすべての者の先祖となった。チラもまたトバルカインを産...

本地垂迹

本地垂迹(ほんじすいじゃく)という言葉があります。本地とは本来あるべき姿、形、または状態です。垂迹というのは、目に見える形で現われることです。垂というのは、上から現われるという意味です。霊なるものが肉なるものとして現われるのが垂です。天から地にたれるという意味で、垂という字...

万物を裁く

神の命に生きる者は、キリストの座に座って万物を裁くことになるのです。こういう責任を与えられるのです。 聖書を勉強する場合は、愚直が一番必要です。神の心、聖書の純粋な信仰が、日本で一粒でも二粒でも留まれば、芥子種の信仰として大きな業をすることになるのです。...

記憶と裁き

人間は肉の思いが死であると分かっていても、それが止められないのです。それは自分のマインド(精神)が、へびの末によって押さえ込まれているからです。人間の命はマインドです。「肉の思いは死であるが、霊の思いは命であり、平安である」(ローマ人への手紙8・6)とありますが、この二つが...

霊魂の完成

人生には矛盾と落胆と悲しみがあるだけです。なぜそうなるかと言いますと、根本的な考え違いをしているからです。 人間は自分が生きていると思っています。自分の命があり、自分の人生があり、自分の仕事、自分の財産、自分の家庭があると思っています。自分が生きていると思っていますから、自...

人間の統合

日本人の場合、世界観が全く間違っているのです。世界観というのは物の見方という事ですが、この間違いは当人には分かりません。日本人はその間違いが到底分からないでしょう。 例えば日本には天皇制がありますが、その値打ちが分かっていません。憲法の第一条には、天皇は日本国のシンボルであ...

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