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愛  

人間が造られたことの目的を結論的に言いますと、キリストの花嫁になるためなのです。人間の魂は結婚するために造られたのです。霊による結婚を許されるために造られたのです。花婿がキリストになるのです。これは人間自身のあり方が女性であるから、そうなるのは当然のことです。...

とこしえの命

イエスが洗礼を受けた時は、神とのコミュニケーションに入っていったのです。コミュニケーションの内容をマタイによる福音書では書いていないのです。神がイエスの信仰を見たいと思われたのです。 神がイエスの信仰を見たということは、イエスがそのような心境に立ったということです。...

驚くべき人間存在の実体(1)

人間とは何であるのか。これはアブラハム以来の永遠の謎になっているのです。この謎を解くためには、宇宙構造から考えていかなければならないのです。そのためには、創世の原理を考えていかなければならないのです。 神を信じるためにはどうするのか。神を信じる私たちが宇宙的にどういう位置に...

驚くべき人間存在の実体(2)

聖書の勉強と一口に言いましても、色々と勉強の仕方があるのです。旧約の場合には聖書はほとんどありませんでした。旧約の預言者が神の言葉を学んでいたのは、部分的な学び方でした。 イザヤほどの預言者でも新約を預言していましたが、新約の成就を知らなかったのです。そういう立場からの預言...

驚くべき人間存在の実体(3)

神を信じることの準備段階は、誰でもできるように思いますが、それがなかなかできないのです。 般若心経の無眼界乃至無意識界は、異邦人としてはよほど思い切った、あっぱれな見方、考え方です。ところが、東洋哲学の欠陥の一つとして、無という意識を誇るような、また、楽しみ、最高のもののよ...

驚くべき人間存在の実体(4)

人間はいつも、どんな事をしていても、自分がいると思っている。これが罪の下に売られた者の特徴です。自分だけでそう思っているのです。人間の行動を見ていると、自分がいるという雰囲気で溢れているのです。原罪の塊がそのまま生きている格好になっているのです。...

驚くべき人間存在の実体(5)

真ん中に座しているお方を神にするのは、回りにいる長老です。真ん中に座している者が神であると書いていないのです。従って、真ん中に座している者を神にした者は、御座に座している者の絶対的な構想によって、とこしえの命が保障されるのです。...

驚くべき人間存在の実体(6)

五蘊(人間の常識、知識)を信じることは、現代における人間の必然的な気持ちです。これを人間自身の理論で叩きこわすことはできません。五蘊皆空は般若心経による絶対であって、これは反対することはできません。五蘊皆空ということが、「わが前に歩みて全かれ」という言葉の裏になっているので...

あとがき

皆様が今生きている命をどのように受け止めておられるのかということが、問題なのです。自分が生きているという気持ちが間違いなのです。 命は自分で造ったものではありません。人間は生まれたいと思って生まれたのではありません。自分の命だと思っているのは、この世に生まれてからの経験なの...

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