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  • 管理人chaya

人間の心理機能


女が造られたということについて、もう一度考えてみたいのですが、女が造られたというのは、アダムのあばら骨を取り出して造ったのです。ここで考えなければならないことは、第二章の七節に、土のちりで人を造ったということです。造るということに、メード(made)という言葉を使っていないということです。フォーム(form)という言葉が使ってあるのです。フォームとは、組み立てるという意味です。メードという造るではないのです。

人間はフォームされたのです。運動競技の場合、走り方のフォームと言います。フォームが悪いとか、フォームが良いとかと言います。運動の姿、形、形態をさすのです。土のちりで人間が造られたというのは、フォームという言葉が使われています。女を造ったというところでは、メードという言葉が使われているのです。これはフォームとは違います。メードは本当に造ったことです。製造したという意味です。

男が造られたのは、形造られたのです。かたどられたのです。かたどられたというのは、神にかたどられたということです。創世記一章二十六節の神にかたどられたというところは、フォームではありません。これはイメージ(image)とか、ライクネス(likeness)という言葉を使っていて、また意味が違います。

アダムが造られたのは、アダムがフォームされたのです。ところが、女はフォームされたのではなくて、メードされたのです。男はフォームされたのです。フォームされたという言葉は意味深長であって、ちりをもって造られたという意味と、土によって形造られたという意味の両方が含まれているのです。ちりによって造られたということは、人間の心理機能がそのまま人間自身のフォームになっているのです。これがちりの人間です。

人間の心理機能は、時間にとらわれていません。例えば皆様が百年前のこと、千年前のことを勉強すれば、それが何となく理解できるのです。そういうことを書いた本を読んだら、その時代の光景が頭の中に浮かんでくるのです。一億年前のことでも、聞けば理解できるのです。これは一体どういう訳かと言いますと、人間の心理機能がそういう構造を持っているのです。

日本の地球の裏は南米のアルゼンチンになりますが、その国のことを聞けば分かるのです。テレビでその国のことが放映されたら、理解できるのです。そういうことは、人間の心理機能が、時間とか空間の制約を全く受けていないことを示しているのです。これが実は人間の本当のフォームです。

事実人間が生活している状態を見て下さい。イギリスのことを聞いたら、その国のことが理解できるのです。アメリカのことも聞けば分かるのです。人間の心理機能が、時間、空間に制約されていないから、理解できるのです。これが、フォームされた人間です。これがちりで造られた人間ということです。

人間の心理機能は肉体とは何の関係もありません。肉体は日本にいても、心はアメリカのことが分かっているのです。時間、空間を超越して、過去、未来を超越して、人間の機能は働いているのです。

目で見ていないものが見えるのです。耳に聞こえない音が、心に感じられるのです。私たちは地球が自転公転しているのを見たことはありませんが、見えなくても分かっているのです。地球が回っていることは分かっています。人間は神と全く同じような機能を持っているのです。

神は自分の心理機能にかたどって人間をフォームしたのです。土で造られた人間は肉体人間です。これは土の器です。ところが、霊なる人間は生かされている状態です。生かされている状態は、時間、空間に関係なく生きているのです。時間、空間に束縛されないで生きているのです。生まれる前のことも分かりますし、死んだ後のことも分かるのです。

こういうものを土の人間と言えるのでしょうか。生まれる前に父なる神と一緒にいたことが分かります。こういうのをちりの人間というのです。なぜちりというのかと言いますと、ちりは地球全体を取り巻いている神のすばらしい機能を言います。ちりがあるから地球が地球でありうるのです。ちりがなかったら、地球は昼は摂氏四百度か五百度になり、夜はマイナス五十度とか百度になるでしょう。人間はとても生きていられないのです。ちりのおかげで、人間は生きていられるのです。

このちりで人間は造られているのです。神と同じような機能を与えられているのです。これがちりで造られた人間です。こういう人間を自覚することになりますと、現在の肉体は皆幻であることが分かるのです。

太陽が太陽の働きができるのも、月が月である働きができるのも、海の水があるのも、空が青いのも、皆ちりのおかげです。ちりがなければ、万物は全く存在できないのです。地球の生命の元になっているちりによって、人間は造られているのです。地球のちりによって人間は造られたのです。昼が明るいのも、ちりの効用です。これが皆様の元素です。肉体とは関係がないのです。

人間がちりから造られたことが分かれば、現在の人間の苦しみから抜け出すことができるのです。愛別離苦、怨憎会苦と言わなくてもいいのです。愛する者と別れなければならない。憎んでいる人と会わなければならない。これが愛別離苦、怨憎会苦です。これが人間の四苦八苦です。

肉体人間があると思うから、四苦八苦があるのです。病気になるとか、年をとるとか、だんだん皺が増えるとかというのは、皆肉体があるから起きるのです。ちりの人間なら、そういう心配はいらないのです。二章七節の人間は、そういう人間なのです。

ところが、女は肉体として造られているのです。メードの方になるのです。だから女の人はスケールが小さいのです。肉体存在の自分にどうしてもこだわっているのです。ここに、男と女の違いがあるのです。


(内容は梶原和義先生の著書からの引用)

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