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  • 管理人chaya

著者 梶原和義



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はじめに

皆様は死ななければならないことが分かっていながら、死ぬべき命をそのまま生きておいでになる。死にたくないと思いながら、死なねばならないという気持ちに屈伏している。これがいけないのです。本当に死にたくないと思うなら、死にたくないという頑固な気持ちを持ち続けなければいけないのです。死ねば必ず霊魂の審判を受けるに決まっているからです。だから、霊魂が死なない方法を見つけなければいけないのです。 人間の霊魂は

善悪を知る

創世記第三章でへびは、「おまえたちがそれを食べても、決して死なない。それを食べると神のようになって目が開け、神のように善悪を知ることになるだけのことだ」と言っているのです(同3・4、5)。 神のようになって善悪を知るだけのこととへびは言っていますが、これが死んだことなのです。死ぬことなのです。へびはこれを当たり前のように言っているのです。ここに人間の迷いの深さがあるのです。 現在の人間の思いは、へ

女の創造

創世記第二章二十一節に、「そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた」とあります。 大体、人間存在というものは宇宙的に申しますと、全く不可解な存在です。神そのものでもなく、また、獣でもなく、天使でもないのです。天使はそれぞれの役目を持っていて、神の命令に従っています。悪魔に属する天使は、悪魔の命令に従うのですが、部分的な職務を分担する能力、働きがあるのです。 天使は自ら自由意志を持っていま

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