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  • 管理人miwa

自分を脱ぎ捨てる

聖書は天地が造られる前からのことを記しているのです。なぜ地球が存在するのかということが書かれているのです。

人間存在は地球存在の代表的な生き物であって、人間の自覚の状態によって、地球存在の価値が決定するのです。

人間が生きている場所が地球ですが、人間の生き方によって、地球の価値が上がったり下がったりするのです。

現在の文明人は地球に生きている値打ちを持っていません。地球を食い物にしているからです。これが現代文明の非常に悪い点です。

地球を食い物にしてはいけない。地球を神の御心に従って完成しなければならないのが人間の責任です。義務です。まず千年王国を来たらせること、それから物理的に地球を完成すること、そして新天新地を実現することです。

 罪と死が地球に存在している。こんなものが存在することが、神が人間に与えているテストケースであることを示しているのです。試験問題です。

 罪がなぜ地球にあるのか。なぜ死があるのか。罪と死を地球から追い出して地球を理想的なものにすること、地球を神の国にすることが人間の目的です。

 これは聖書に書いてありますから、これを実行したらいいのです。聖書六十六巻に示されていることを実行するのです。これが聖書を勉強する目的です。

 現代人は自分の生活のことしか考えていませんから、親子のことが分かりません。自分のことが分からない。女性とは何かが分からない。女性が何のために造られたのか分からないのです。

 女性の生活が女性に分かっていない。男性もそのとおりです。男が現世に生きているけれど、夫婦生活とは一体何かが分かっていないのです。ただ結婚している。セックスをして子供を産んでいる。これが何のことか分からないのです。

 現在の人間にあるのは罪と死だけです。罪を犯して死んでいく。そして罪を犯して死んでいく。こればかりをしているのです。ばかなことをしているのです。

 キリスト教では罪を犯して死んでいくことが分かっていないのです。キリスト教は聖書を説いていません。宗教教義ばかりを説いているのです。女性とは何か。男とは何か。これがさっぱり分かりません。牧師さん自身が分からないのです。牧師さん自身がセックスを知らないのです。教会でセックスのことを堂々と話せる牧師さんは一人もいないのです。セックスのことを本当に説明できないようでは、本当の聖書の説明ができないのです。

 人間が罪を犯した時に、人間の目が開いたのです。目が開いて何を見たのか。隠し所を見たのです。男と女がお互いに隠し所を見たのです。そこで、お互いにいちじくの葉で隠したのです。これが人間の陥罪の最初の行為です。

 隠し所とは何か。これは悪魔が発明したもので、人間は絶対に見てはいけないものです。隠し所が説明できないということは、完全な聖書の説明ができないことを意味するのです。

 人間の本質はオンリー・ゴッドであって、神において生きていることが人間の本質です。神だけで生きていることが人間の本質です。セックスのことが説けないで、どうして聖書の勉強をしていると言えるのでしょうか。人間存在のあらゆることが説明できなければならないのです。

 セックスは嘘です。現在の人間が考えているセックスは皆嘘です。このことをパウロはエペソ人への手紙の四章二十二節で、性欲の考え方はデシート(deceit)だ、すべての人間は詐欺にかかっていると言っています。性欲に振り回されている。ばかではないかと言っているのです。

 人間は性欲という詐欺にかかっているのです。性欲があると思い込んでいる。これが間違っているのです。聖書を徹底的に読んでいきますと、人間の秘密が全部分かってくるのです。裏も表も全部分かります。聖書は見える所も見えない所も全部書いています。人間の嘘も誠も全部知らせているのです。これが神の言です。

 現在までの人間のあり方が、常識的にも、道徳的にも、法律的にも、経済的にも全部間違っているのです。人間の世界観、価値観が全部間違っているのです。

 人間が生きている状態が霊です。霊に従って生きていることになりますと、隠さなければならないことは一つもないのです。ただ世間の人と付き合っていかなければなりませんから、何でも出してもいいという訳ではありません。そういう心構えは必要ですが、神と人間との関係においては、秘密はないのです。

 皆様が本当に聖書を勉強する気持ちになれば、とことんしてください。そうしたら、すべてが分かるでしょう。

 人間が考えている男も女も間違っています。別のものがあるのです。もっと上等なものがあるのです。これが霊に従って生きていることです。

 聖書を徹底的に勉強しますと、人間の生活が徹底的に神の国になってしまうのです。イエスは「水と霊とによりて新に生まれて神の国に入れ」と言っていますが、これを実行すると、神の国に入っている人間になってしまうのです。そうすると、死ぬことがなくなってしまうのです。

 現在の皆様の命は必ず死にます。これをよく考えてください。今の命をそのままで生きていると、必ず死にます。死ぬことが分かっていますから、今の命を惜しむ必要はありません。

 そこで、命を脱ぎ捨てるのです。命を脱ぎ捨てるということは、自分の思想を脱ぎ捨てることです。自分の命を脱ぎ捨てると、命が自ずから脱ぎ捨てられるのです。

 そして、聖書の思想を着るのです。聖書の思想を着ますと、新しい命になるのです。思想の入れ替えを実行するのです。そうしたら、皆様の命は変わってしまいます。これをしたらいいのです。

 そのためには、徹底的に聖書の勉強をすることです。そうすれば、死なない命を具体的に受け取ることができるのです。思想の入れ替えをしたらいいのです。

 今の人間が生きていることが、とことん間違っています。何もかも間違っているのです。だから、自分を脱ぎ捨てなければいけないのです。


(内容は梶原和義先生の著書からの引用)

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