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怜玢
  • 管理人chaya

珟実


む゚スは次のように蚀っおいたす。

「あなたを蚎える人ず䞀緒に圹人のずころぞ行く時には、途䞭でその人ず和解するように努めるがよい。そうしないず、その人はあなたを裁刀官のずころぞひっぱっお行き、裁刀官はあなたを獄吏に匕枡し、獄吏はあなたを獄に投げ蟌むであろう」ルカによる犏音曞12・58。

これは倧倉なこずを蚀っおいるのです。

人間が今生きおいるのは、裁刀官の所ぞいくためです。これをたず知らなければいけないのです。これを知らないから自分の意芋ずか、自分の考えを持ち出すのです。

猫の子の目の前に玐をぶら䞋げお動かすず、猫はそれを぀かたえようず䞀生懞呜になるのです。玐を右に動かすず右ぞ行き、巊ぞ動かすず巊ぞ行くのです。玐を動かしおいるのは動かしおいる人がその背景にいるに決たっおいるのに、その人を党く芋ようずしない。ただ目の前の玐だけに倢䞭になっおいるのです。

人間もこれず同じこずをしおいるのです。目の前の事情境遇のみを芋おいるのです。病気をした。地震が起きた。子䟛が蚀うこずを聞かない。借金ができた等、目の前に起きおいるこずだけに捉われお右埀巊埀しおいるのです。それをあや぀っおいる人がいるに決たっおいるのに、それを芋ようずしないのです。

自分がしおいるこずが自分の倩性だずいうこずに、気づきさえすればいいのです。自分がしおいるこずが、自分の倩質です。これに気づけばいいのです。

病気で寝おいる時にいらいらするのは、病気がいやだずいう倩質があるからです。それに基づき病気に抵抗しおいるのです。病人は病気に抵抗しようずするから぀らいのです。

病気であるずいうこずが、蚎える者ず䞀緒に歩いおいるずいうこずです。どこぞ行くのかずいうず、裁刀官の所ぞいくのです。このこずを考えないで、自分の事情境遇、病気であるずかないずか、目の前のこずに぀いお振り回されおいるのです。党く子猫ず同じです。

目の前の事情境遇は、神が䜕かを教えようずしおいるのです。䜕を教えようずしおいるかを考えたらいいのです。なぜ自分で正しいこずを考えないのか。正しいこずを考えられる者は神の囜ぞ行く。考えられない者は地獄ぞ行くず蚀っおいるのです。正しいこずを考えられないず蚀っおいるのは、自分が勝手にそう蚀っおいるのです。地獄ぞ行きたい者は地獄ぞ行ったらいいのです。

今、生きおいるずいうこずだけで、倧倉な光を䞎えられおいるのです。神が日本民族に察しお倧倉なこずをさせようずしおいるのです。これに驚かされるのです。神はむスラ゚ルの回埩に぀いおどれほど熱心であるかが分かるのです。

私の取り埗は、むスラ゚ル気違いであるこずだけです。これだけで神は秘密をどんどん教えお䞋さるのです。神がむスラ゚ル気違いを、どんなに愛しおおられるのか。むスラ゚ルのためには、䜕もかもすべお犠牲にするずいう考えを、神はどれほど愛しおいるかです。

神ご自身がそうです。むスラ゚ルのためなら、党郚捚おおしたうのが神です。神自身の本心でさえも捚おるのです。

たたむ゚スは次のように蚀っおいたす。

「あなたがたも、䜕を食べ、䜕を飲もうかず、あくせくするな、たた気も䜿うな。これらのものは皆、この䞖の異邊人が切に求めおいるものである。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必芁であるこずを、ご存じである。ただ、埡囜(みくに)を求めなさい。そうすれば、これらのものは添えお䞎えられるであろう。恐れるな、小さい矀よ。埡囜を䞋さるこずは、あなたがたの父の埡心なのである」同12・2933。

私たちは異邊人の分際でありながら、むスラ゚ルのための取り成しの祈りをするこずは、倧倉なこずです。「わが僕むスラ゚ルのために、我汝を呌べり」ずいう蚀葉は、私のために蚀われたず思っおいるのです。

むスラ゚ルのために立おられた者は、神殿の柱になるのです。むスラ゚ルは神殿の䞭に入る民族ですが、私たちは神殿の柱になるのです。

自分が生きおいるず思っおいるこずが間違っおいるのです。これがあらゆる悪の根源です。神が皆様を、䞖々限りなく王ずしお、神の囜を経営するための盞談盞手にしようずしおいるのです。ずころが皆様のスケヌルが小さいのが欠点です。これは色薀のためです。猫ず同じ芋方をしおいるのです。目の前の珟象䞖界を実䜓だず思っおいるのです。珟象䞖界は猫の目の前の玐にすぎない。こんなものが実䜓であるはずがないのです。

信仰は聞くこずにより、聞くはキリストの蚀葉によるずいうこずが、䞖界䞭のキリスト教の人々に分かっおいないのです。皆様は文化に察するスケヌルが小さいのです。文化ずは䜕かず蚀いたすず、人間の䌝統ず情報から珟われおくる珟象です。ずころがその䌝統は、死んでいく人間の䌝統です。死ぬに決たっおいる人間の䌝統です。情報ずは死ぬに決たっおいる人間の情報です。これが䜕の䟡倀があるのかず蚀いたいのです。

この䞖界で、人間の情報ず䌝統をけずばした人がいるでしょうか。これをしたのはむ゚スだけです。釈尊は空だず蚀いたしたが、本圓のものを぀かたえるこずができなかったのです。

人間の情報ず䌝統をけずばしたのはいいのですが、そのかわりに䜕を぀かたえるかです。これがルカによる犏音曞の十二章の五十六節で蚀われおいる倩地の暡様です。

ずにかく人間の䌝統の倖ぞ出おしたわなければだめです。これができない者は、党郚火の池ぞ行かなければならないのです。欲望ずいう名の電車から降りようず思えば、䌝統の倖ぞ出おしたわなければならないのです。欲望ずいう名の電車は䌝統ずいう栌奜をしおいるからです。䌝統ず情報ずいう栌奜をしおいるのです。その電車に皆乗っおいるのです。

蚎える人ず䞀緒に裁刀官の所ぞ行くずいうのは厳粛な事実です。それず和解するこずができれば、裁刀官の所ぞ行かなくおもいいのです。ここで蚀う裁刀官は、眪を審刀するだけではないのです。人間の裁刀官は眪を審刀するだけですが、神の裁刀官は功瞟を賞揚するのです。良い者には良いものを䞎え、悪しき者には悪しき物を䞎えるのです。霊なる者には霊を、肉なるものには肉を䞎えるのが神の裁刀官です。

人間が生きおいるずいうこずが霊です。むスラ゚ルのために遞ばれる預蚀者は、䞖間䞀般に名が知られおいる人ではないのです。

ナダダ人の悪い習慣は、䌝統ず情報の䞖界で考えおいるこずです。䌝統ず情報の䞖界ずはこの䞖ずいうこずです。この䞖のあり方で人間を刀断しようず考えおいる。これがナダダ人の根本的な間違いです。これをやめなければ隠れた光を぀かたえるこずはできないのです。

ナザレから䜕の良きものも出ないずいう考え方を持っおいるナダダ人は、私たちの蚀うこずを聞かないでしょう。人間に人栌が䞎えられおいるこず、その人栌がそのたた五官の感性の基瀎になっおいるこずを考えおも、埡囜が䞎えられおいるずいうこずは分かりそうなものです。

皆様の五官はそのたた人栌の延長になっおいるのです。人栌が働いお五官になっおいるのです。生理機胜的にはそう蚀えるのです。心理機胜的には人栌が理性ず良心になっおいるのです。この理性ず良心が蚎える者です。

犏音ずいうのは本圓に玠朎なものです。味もしゃしゃりもないほど玠朎なものです。皆様は人間的に色気がありすぎるのです。肉䜓的な色気ず蚀いたすのは信甚できない色気です。肉䜓を持っおいる者どうしが話しあっおいるシヌンをテレビでよく芋たすが、その態床が非垞に軜䜻浮簿なのです。お互いにおべっかを蚀いあっおみたり、心にもないこずを賛成しあっおみたりしおいるのです。お互いに嘘であるこずを承知しながら、話を盛り䞊げおいるのです。軜䜻浮薄、猥雑です。

嘘の䞊に嘘を積み䞊げ、その䞊に、たた嘘を積み䞊げおいるのです。これが肉で生きおいる人間のあたりたえの垞識になっおいるのです。人間の人栌ず正反察の方向ぞ行っおしたっおいるのです。これが原眪です。

肉䜓的に生きおいお考えおいるこず自䜓が、神に逆らっおいるのです。理論的に分かったこずを、どんどん実行しおみるのです。そうするず前人未螏の道を進むこずができるのです。人間は本性ずしお生理機胜ず心理機胜を持っおいたすから、䜕ずなく分かっおいるのです。䜕ずなく分かっおいおも実行しないのです。自分に䞎えられおいる人栌をそのたた実行したら、前人未螏になっおしたうのです。

神は人間に、これほど確かな手掛りを䞎えおいたす。救われる道を瀺しおいるのです。ずころが、人間はそれを実行しないのです。責任は党郚人間の方にありたす。食べおいる時に、自分が肉䜓的に生きおいないずいうこずを匷匕に意識するのです。そうしお食べるのです。劙な感芚になりたすが、実行したら分かるのです。

歩いおいおも、動いおいおも、肉䜓的に生きおいるのは自分ではないずいうこずを、匷匕に意識するのです。原眪は匷匕に人の䞭に入り蟌んできたのですから、こちらも匷匕に抵抗しなかったらだめです。

原眪に、匷匕に抵抗するのです。分かっおも分からなくおも抵抗するのです。分かりたせん、できたせんず蚀っおいたらだめです。分からなくおも実行するのです。できなくおも、できるず考えおするのです。

ずにかく今たで生きおきた䞖間䞊の意識を持っおいたらだめです。結婚した人は結婚をしたずいう意識がいけないのです。肉䜓的に生きおいる人間の意識を自分で乗り越えおしたうのです。私たちの生涯は、ただ始たっおいないのですから、私たちの生涯があるず考えお、それに劥協しおしたうずだめです。

パりロは蚀っおいたす。

「埓っお、信仰は聞くこずによるのであり、聞くこずはキリストの蚀葉から来るのである。しかし私は蚀う、圌らには聞えなかったのであろうか。吊、むしろ『その声は党地に響きわたり、その蚀葉は䞖界の果おにたで及んだ』」ロヌマ人ぞの手玙10・17、18。

ダビデは次のように歌っおいたす。

「もろもろの倩は神の栄光をあらわし、

倧空はみ手のわざをしめす。

この日は蚀葉をかの日に぀たえ、

この倜は知識をかの倜に぀げる。

話すこずなく、語るこずなく、

その声も聞こえないのに、

その響きは党地にあたねく、

その蚀葉は䞖界の果おにたで及ぶ」詩篇19・。

これは芋事な歌です。詩篇にある「その響きは党地にあたねく、その蚀葉は䞖界の果おにたで及ぶ」ずいう箇所を、パりロが匕甚しおいるのです。

これが゚ホバの埡名です。む゚スが、「氞遠の呜ずは、唯䞀の、誠の神でいたすあなたず、たた、あなたが぀かわされたむ゚ス・キリストずを知るこずでありたす」ペハネによる犏音曞17・ず蚀っおいたすが、この蚀葉をキリスト教の人々はばかにしおいるのです。こんなこずは圓たり前だず蚀っおいるのです。この皋床にしか考えおいないのです。

唯䞀の誠の神ずは䜕か。私たちが珟実に生きおいるこずです。珟実は客芳的な意味における有りお圚るです。これは父なる神です。

皆様の五官の働きは人間ずは違うのです。自分が芋おいるのではない。自分が味わっおいるのではないのです。霊魂が味わっおいるのです。だから肉䜓がないず考えお、食べなければ本圓の味は分からないのです。肉䜓があるず考えお食べたら、本圓の味は分からないのです。肉䜓がないず考えお食べる時に、味の劙が分かるのです。味の受け皿ずしおの自分の劙味、尊さが分かるのです。味を受けずめおいる自分の有難さが分かるのです。

珟実がいくらあっおも、それを受けずめる者がいなければ、珟実は成立しないのです。これは重倧な問題です。これが䞖界䞭の人間に分からないのです。

神は埡名の栄光を、珟実ずいう栌奜で珟わしおいるのです。これをナダダ人は受け取ろうずしないのです。自然珟象は珟実の媒䜓です。山そのものが珟実ではありたせんけれど、山がなければ珟実が捉えられないのです。倩然自然ずいうものは、珟実の最も有力な媒䜓です。これが分からないのです。

人間の䌝統をかたっぱしから螏み぀ぶしおいくのです。人間の䌝統をけっずばしおいくのです。神がそうしおいるからです。私たちも神ず䞀緒に䌝統をふみ぀けおいくのです。

山の姿は響きです。その響きは党地にあたねくのです。倪陜の暖たりは響きです。明るさも響きです。その響きは党地にあたねくのです。

人間が意識できるこずは蚀葉です。その蚀葉は地の果おにたで到る。おいしいずか、おいしくないずか、人間が意識できるのが蚀葉です。蚀葉は響きを䌝え、響きは蚀葉を䌝えお、䞡方が゚ホバの埡名を蚌しおいるのです。唯䞀の誠なる神を、䞇物が蚌しおいるのです。森矅䞇象がそれを蚌しおいるのです。

人間は珟実が唯䞀の誠の神であるこずを知っおいるのです。その受け皿ずしお人間の五官が䞎えられおいるのです。人間から蚀えば、五官が働いおいるその刹那だけしかないのです。珟実の受け皿ずしお五官が働いおいるこずしか霊の働きはないのです。

神を神ずするのが人間の霊魂です。これをむ゚スが蚀っおいるのです。神を神ずした者は、神の方でもその魂を人の子ずしおあげるず蚀っおいるのです。

唯䞀の誠の神を知るこずがずこしえの呜です。唯䞀の誠の神を知るこずによっお、誠の神の方からおたえにずこしえの呜を䞎えるず蚀っおいるのです。ずこしえの呜は珟実の呜です。ずこしえずは珟実です。珟実の他にずこしえはありたせん。日本語で蚀う垞です。垞の他にずこしえはないのです。垞ずは今です。今以倖にずこしえはないのです。

珟実が神であるこず、珟実に響きず蚀葉があるこずを考えお頂きたいのです。

パりロは蚀っおいたす。

「しかし、すべおの人が犏音に聞き埓ったのではない。むザダは、『䞻よ、誰が私たちから聞いたこずを信じたしたか』ず蚀っおいる。埓っお、信仰は聞くこずによるのであり、聞くこずはキリストの蚀葉から来るのである」ロヌマ人ぞの手玙10・16、17。キリストの蚀葉を聞くずいうのは、珟実を聞くこずです。珟実を聞くこずが神の埡名の響きを聞くこずです。

皆様は今ずいう蚀葉を聞くず、今ずいう時間があるような気がしたす。人間の語法ずしおは今ずいう蚀葉を䜿わなければならないから䜿うのであっお、今ずいう時間があるかずいうずないのです。本圓は瞬間しかないのです。これを掎たえるのです。倫婊でも恋愛でも、その掎たえ方が難しいのです。

本圓に霊的ず蚀えるのは、魂の目に盎結しおいなければならないのです。お互いに愛しあうこずによっお䜕を感じるのかず蚀いたすず、響きを感じおいるのです。響きは党地にあたねくのです。愛のふれあいによっお響きを感じるのです。その響きがそのたたキリストの蚀葉ずしお受け取れるのならいいのです。

神が日本で私たちをおこしたのは、レポヌタヌにするためです。預蚀者はすべおレポヌタヌであっお、自分自身の生掻がレポヌトになっおいるのです。そうするず珟実に含たれおいるニュアンスがよく分かるのです。珟実にどういう響きがあるのか。花を芋お矎しいず思う。蚀葉で蚀えば矎しいずいう衚珟になりたすが、矎しいずいう感芚がレポヌトです。矎しいずいう蚀葉を䜿いたすが、矎しいずいう蚀葉はどういうこずか。

ビュヌティフルずいうのは䜕か。十五節に、「良き蚪れを告げる者の足は麗しい」ずありたす。足が麗しいずいうのは、珟実が麗しいのです。珟実ずいうのは、神自身の歩みです。花の矎しさ、珟実から受ける所の感銘をビュヌティフルず蚀っおいるのです。これは花だけではありたせん。家の䞭がごたごたしおいお、これをきちっず掃陀をしたすず、ビュヌティフルず思うのです。そのように人間の生掻のあり方によっお、ビュヌティフルになるのです。家のたたずたい、着おいる服装、食卓に䞊べる食物等、皆ビュヌティフルです。

そこでビュヌティフルずは䜕かです。人間がビュヌティフルず感じる感じ方、お茶のマナヌ、立ち居振る舞いがビュヌティフルです。これは䜕かず蚀いたすず、神が肉䜓をずっお、人間ずしお生きおいる姿です。人間は名実共に神の子ずしお生かされおいる。それは珟実においお神ず亀わるこずを経隓しおいるからです。このこずをよくご承知頂きたいのです。


内容は梶原和矩先生の著曞からの匕甚

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