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  • 管理人chaya

はじめに


生まれる前に、人の命があったのです。

現在私たちはこの世に生まれてきましたが、これは、結果なのです。生まれてきたという結果が発生するためには、原因がなければならないのです。

生まれた時、人はほぼ完全だったのです。生理的にも、心理的にも、ほぼ完全だったのです。

心理的に言いますと、現世における知識、常識はありませんが、人間の霊魂の本能性は、十分に持っているのです。

それが現世に生まれたことによって、後天性の人間社会の因縁によって、生まれる前の本性が消し去られてしまったのです。親の教育、近所の人々、学校の先生、職場の先輩等によって、生まれる前の霊魂のあり方が、むちゃくちゃにされてしまった。これが現在の日本の社会構造なのです。

五薀皆空とは、そのような社会人のあり方、大人のやり方が、皆間違っているということを釈尊が言っているのです。

人間は現世に生まれてきて、この世の業をにじりつけられたのです。現世に生まれたことによって、皆様の魂は、この世の業という恐るべきものを背負わされたのです。

人間がこの世に生まれたことは、この世の業を背負わされたことなのです。聖書に、「人間は肉なるものであって、罪のもとに売られた」という言葉があります(ローマ人への手紙7・14)。

これをはっきり言いますと、人間は罪の下に売り飛ばされたのです。人間の魂は、この世という妄念の世界に、売り飛ばされたのです。

皆様は、現在、この世の常識で生きておいでになります。この世の知識で生きておいでになります。この世の常識は、この世の人間の妄念が集積したもので、いわゆる五薀と言われるものなのです。

人間の常識、知識は、現世の人間の色々な執念によって、缶詰のようになっている。その執念からどうして出るかということです。

現在の人間の実体をはっきり言いますと、執念の塊なのです。性欲的な執念の塊、食欲的な執念の塊、物欲的、名誉欲的な執念の塊なのです。これからどうして出るかということです。

般若心経に遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃とあります。顛倒夢想というのは、現世における人間の物の考え方は、すべて顛倒しているというのです。有りもしないものを、有るように考えている。本当に有るものを、誰も考えていない。こういう間違いをしているのです。

皆様は、自分の命があるとお考えになっています。これが顛倒夢想です。自分の命はありません。皆様は、自分で生まれたいとお考えになったことは、絶対にないでしょう。従って、自分の命は初めからないのです。それを現在の人間は、自分の命があると思い込んでいるのです。

人間がこの世に生きている状態は、生きているのではなくて、実は死んでいるのです。なぜかと言いますと、皆様は命を経験していらっしゃるのに、命とは何かが、全然分かっていない。学校でも、一般社会でも、命が分かっている人は、一人もいないのです。世界中の人間の中で、命をはっきり説明できる人がいないのです。

そのように、命を経験していながら、命が分からないということは、生きていないことを意味するのです。だから、生きていると思い込んでいるけれど、実は死んでいるのです。聖書では、人間は生きているような形はあるけど、皆死んでいると言っているのです。

般若心経は究竟涅槃と言っています。涅槃とは、人間が消えてしまうということです。冷えて、消えて、なくなってしまうことを、涅槃というのです。

般若心経は何を言っているのかと言うと、人間が消えてしまうことを、見極めると言っているのです。人間が現世に生きている間に、消えてしまうことを、勉強しなさいと言っているのです。これが般若心経の目的です。

五薀皆空ということは、この世に生まれてきて、この世で育った人間の考え方は、皆間違っているという意味です。世間の思想は、全部間違っているのです。

生きていながら、命が分からない人間が、二〇一二年現在、全世界で七十億人もいるのです。生きていながら、命が分からないという愚かな人の中から、どうして逃げ出すことが出来るのかということです。

何のために人は生まれてきたのか。人は、何のために生きているのか。これが明確に説明できる人が一人もいないのです。

人は何のために生まれてきたのかと言いますと、命を知るために生まれてきたのです。命は自分のものではない、神のものです。神の命です。宇宙の命です。太陽の命です。この命が宇宙に一つあるだけなのです。これが死なない命です。

死なない命を見つけるための、新しい世界観を持たなければ、命は分からないのです。

死なない命が、本当の命なのです。皆様が現在経験している命は、死ぬに決まっている命です。死ぬに決まっている命を持っていて、大きな顔は出来ないのです。

死ぬ命に生きている人は、総理大臣になっても、大統領になっても、何の価値もないのです。死ぬに決まっている命を自分の命だと思っているのは、ばかなことです。この悪い癖をやめるのです。これが究竟涅槃なのです。

死なない命を見つける方法があるのです。そのためには、般若心経を正しく読むことです。死んでしまう人間は、消えるべきだということを、学ぶのです。それから、聖書によって、神の命を捉えるのです。宇宙の命、太陽の命、神の命を捉えるのです。

宇宙の命が、太陽という形で現われている。命の本性が、地球の命という形で、表現されているのです。これは死なないのです。

死なない命の表現形式を、皆様は毎日見ておいでになるのです。死なない命を、毎日経験しておいでになる。ところが、自分が生きていると思っているために、その命が全く分からなくなっている。だから、死んでしまうに決まっている自分を脱ぎ捨てればいいのです。

般若心経を毎日読んでいますと、何となく気持ちがいいのです。なぜ気持ちがいいのかと言いますと、死んでしまう自分を捨てられるような気がするからです。

般若心経の意味がはっきり分かれば、本当のご利益をつかまえることができるのです。死んでしまうに決まっている自分を、空じると、本当の人間はまだ生まれていないし、死ぬこともないことが分かってくるのです。

現世に生きている人間は譬です。本当の人間は、まだ生まれていないのです。私たちは仮にこの世を経験しているだけなのです。

本当の皆様は、まだ生まれていないのです。これが般若心経の言いたい所なのです。

イエスが死を破ったことが、皆様の本当の姿なのです。イエスの霊魂の状態と、皆様の霊魂の状態とは、一つなのです。これが分かれば、イエスが主である意味が分かるのです。今まで自分自身が主であると思っていたがこれはとんでもない間違いです。自分の主はイエスであることが分かるのです。これが死なない命を受け止める方法なのです。


(内容は梶原和義先生の著書からの引用)

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