固有名詞の人間は目的を持っていません。固有名詞の加藤さんは、この世では目的がありますけれど、やがて死んで行くのです。この世で貯金をしても、家を買っても、この世の権利はやがてだめになるに決まっています。
自分が生きていると、固有名詞の人間はこの世ではいるように思えるのですが、神の前には一切存在しません。神の前に存在しているのは、人の子だけです。
イエスは固有名詞には関係ありません。百人いても、千人いても、固有名詞の人間はこの世だけしか通用しないのです。
固有名詞の人間は、一切目的を持っていません。これを良く考えて頂きたいのです。皆様はまたしても固有名詞の自分が何か利益を得なければならないと考える。救われなければならないと考えるのです。うまいことをしなければならない気がするのです。これは現世の人間の妄念です。自分の本当の願いではありません。
皆様の霊魂は救われたいとは思っていません。霊魂の本質は本当のことを知りたいと思っているだけです。今ここで、こうして生きているということの本当のこと、真実のことを今ここで知りたいと思っているだけです。今ここに、神がいるからです。
神に死んでから会えるのではない。神はここにいるから、その神を掴まえるのです。私自身が神に生きているという事実を、私は皆様に証しているのです。ここに神がいるからです。この神を掴まえなければ、死んでしまうだけです。
信仰とは、今ここで神を掴まえることです。今ここで神を掴まえることが信仰です。明日、明後日に掴まえるのではないのです。
今座っているとしますと、そのままで神が掴まえられなければ、信仰ではありません。これが分からない。なぜ分からないのかと言いますと、自分は加藤だ、田中だと思っているからです。魂だと思わずに固有名詞の人間だと思っているからです。
人間の魂と、固有名詞の人間と、どんな関係になっているかです。エデンにおけるアダムと、現世の七十二億の人間の関係がどのようになっているのか。なぜ一人の人間が七十二億になったのか。
一人ひとりが固有名詞を脱ぎ捨てて、アダムに帰ることができるような、人の子になれるような、名前のない人間になって頂きたい。名無しの権兵衛になって頂きたいのです。
現世では名前がいります。名前がなければ呼べないからです。人間存在という点からだけ考えますと、肉の人間は神の前には一切存在していません。
イエスは「肉は益なし」と言っています。益なしとは、利益がないという意味ではなくて、何の役にも立たないという意味です。役に立たないというのは、悪い力さえも持っていないという意味です。もちろん良い力も持っていません。何の目的もないし、有害とか無害とかを一切言えるものではないということです。益なしとは空々寂々と同じ意味になるのです。全く空です。
人間が考えている肉は益がない。現在の地球の状態は、神には全く益がない。人間の歴史は何の目的も持っていないのです。今の国際連合は何の目的があるのでしょうか。世界平和の達成と言いますが、世界平和を達成してどうするのでしょうか。
今のアメリカに何の目的があるのでしょうか。今の日本に何の目的があるのでしょうか。国は滅びるに決まっています。現代の人間の歴史は見栄をはっているだけです。内容は何もない。肉は益なしです。
皆様が生きているのは、肉体人間として生きていますが、肉体を持って生きているということは、五官の感覚が肉体的に生きているということです。目で見たり、耳で聞いたりする機能が生きている。機能が神の言葉を受けるのです。
皆様の目と耳の働きは、地球ができる前のファンデーションを見ているのです。地球のファンデーションがなければ、地球ができるはずがないのです。
地球のファンデーションが甘い味になったり、赤い色になったりしている。それを皆様の目が見ているのです。
地球ができる前、前世の時に、皆様に個我は一切ありませんでした。ところが、アダムは罪を犯して、善悪を考えることになったのです。善悪利害を考えるということは、神から離れたことになるのです。自分自身の立場で、善悪利害を考えるからです。その結果、個我が発生したのです。そこで、神の国から追放されて、この世に来たのです。
この世に生まれた時、人間は死んでいたのです。生まれた時に死んでいたのですから、誕生日が命日になるのです。
この世に生まれた人間は、必ず死ぬ人間です。必ず死ぬことが分かっていながら、誕生祝をしている。誕生祝をするより、死なない命をどうしたら掴まえられるかを考えなければいけないのです。
死なない命を掴まえるためにはどうしたらいいのか。前世に生きていた自分を引っ張り出せばいいのです。前世に生きていた自分というのは、五官の働きです。五官の働きの自分を引っ張りだせばいい。これがリビングの実体です。死なない命です。これを受け取ることが、リビングのシールを受け取ることです。生ける神の印を受け取るのです。
赤いものを見て赤く感じることが、皆様が生きている証拠です。これが神です。神はそこにいるのです。
聖書を理屈で勉強するのではなくて、命をしっかり掴まえるような、神の実物を掴まえるような勉強をして頂きたいのです。
人間が生きているのは、神と一緒にいるのです。一緒にいる神が、じっと見ているのです。神にいつ気が付くかと、じっと見ているのです。神は皆様と一緒に生きています。人は神と共にいる。インマヌエルの状態にあるのです。それにいつ気が付くかと、気長に見ているのです。
生きていることは、神そのものです。神の実物が皆様の霊魂と一緒に生きている。だから、丸いものが丸い、甘いものが甘いと分かるのです。五官の働きは、そのまま神の実物になるのです。
やがて、本当の命が全世界に現われます。それまでの間、ファンデーションの世界が現われているのです。
現代文明は仮の文明です。こんなものをまともに信じることをやめて頂きたい。政治も経済も、法律も、真実ではありません。これが肉の思いです。理屈ばかりで誤魔化しているのです。これがユダヤ文明です。やがて、ユダヤ文明が崩壊して、本当の文明が現われます。これが神の国です。
(内容は梶原和義先生の著書からの引用)