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  • 管理人chaya

はじめに


 従来から、般若心経は仏教の経典であり、聖書はキリスト教の教典であると考えられ、各々全く別のジャンルに属するもので、両者に共通点は全くないと考えられてきました。

 ところが、釈尊の悟りにいたる境涯を詳しく調べていきますと、驚くべきことに、そこに新約聖書の根底と切っても切れない関係があることが判明したのです。

 言い伝えによりますと、釈尊はヒマラヤ山の南のふもとを流れるローヒニー河のほとりの釈迦族の皇太子として生まれました。王シュッドーダナ(浄飯)の姓はゴータマと言い、王の妃マーヤー(摩邪)は、同じ釈迦族の一族でコーリャ族と呼ばれるデーヴァダハ城の姫で、王の従兄弟にあたっていました。

 結婚の後、長く二十年以上も子供に恵まれなかったのですが、ある夜、白象が右わきから胎内に入る夢を見て、懐妊し、四月八日、男の子が生まれました。シュッドーダナ王の喜びは例えようがなく、一切の願いが成就したという意味のシッタールタ(悉達多)という名を与えて喜んだのです。

 しかしまもなく、マーヤー夫人はこの世を去り、太子は以後、夫人の妹のマハープラシャーパティーによって養育されたと言います。

 太子は七歳の時から文武の道を習い、何不自由なく育ち、十九歳の時に太子の母の兄デーヴァダハ城主スプラブッダの娘ヤショーダラーを妃として迎えました。

 太子は宮殿にあって歌舞管弦の生活を楽しんだのですが、幼少の頃の母親の死のためか、生老病死について深く考え始めて、その本質をどうしても究めたいと考えるようになりました。

 そして太子が二十九歳になって一子ラーフラが生まれた時に、ついに出家の決心をしました。御者のチャンダカを伴い、白馬カンタカにまたがって宮殿を出たのです。

 最初にバガヴァ仙人を訪れて苦行の実際を見た後に、アーラーダ・カーラーマと、ウドラカ・ラーマプトラを訪れて、修行をしました。それらは悟りの道ではないと知った皇太子は、マガダ国に行き、ガヤー町のかたわらを流れるナイランジャナー河のほとりのウルヴィルヴァーの村の中で、六年間の厳しい修行をしました。

 それは「過去のどのような修行者も、現在のどのような苦行者も、また未来のどのような出家者も、これ以上の苦行をした者はなく、これからもないであろう」と言われたほどに厳しい修行でした。

 しかし、この苦行も太子が求めるものを与えませんでした。太子はその修行を捨てて、ナイランジャナー河で沐浴して、スジャーターという娘に乳がゆをもらって、健康を回復したのです。それまで一緒に行動した五人の出家者は、乳がゆを飲んだ太子が堕落したと考えて、太子から去って行ったのです。

 たった一人になった太子はすべての自分の考えを捨てて、菩提樹の下で座禅をして座り続けたのです。そして四十九日の早朝に、輝く「明けの明星」を見た時、大悟徹底したのです。言い伝えによれば、太子三十五歳の十二月八日でした。

 太子はいったい何を悟ったのか。明けの明星の後には、必ず太陽が出ます。つまり全く新しい世界が現われることを、直感したのです。夜という暗黒の世界が終わって、昼という希望の世界が現われる。生老病死が存在する世界と全く違った世界が現われる。本当の世界、永遠無窮の世界がやがて現われることを悟ったのです。そこで現在の世界を「一切空」と喝破したのです。

 生老病死に関係がない、永遠無窮の世界とは何か。その実体を、イエス・キリストが復活によって示したのです。

 イエス・キリストの復活とは何か。イエス・キリストは復活して、厳重に鍵をかけた家を自由に出入りし、食べ物を必要としない体を示したのです。それは現在の物理次元とは関係がない全く新しい次元の体で、現在の地球が消滅した後に現われる、新天新地を現わしたのです。

 ところが、復活したイエス・キリストが、自分自身を「私は輝く明けの明星である」と言っているのです(ヨハネの黙示録22・16)。釈尊が見た「明けの明星」とは、復活したイエス・キリスト自身です。釈尊は復活したイエス・キリストを見て、大悟徹底したのです。

 言い伝えによれば、釈尊は入滅する前に、「私が今まで説いてきたことは、不完全なものである。やがて本当の人が現われるので、その人に聞きなさい」と言ったのです。

 本当の人とは誰か。これが復活したイエス・キリストです。新約聖書に不思議なことが書いてあります。「イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになった時、見よ、東から来た博士たちがエルサレムに着いて言った、『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東の方でその星を見たので、その方を拝みに来ました』。

 彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。そして、家に入って、母マリアのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬などの贈り物をささげた」(マタイによる福音書2・1、2・9〜11)。

 言い伝えによれば、東方とはインドのことですが、インド人が、なぜユダヤのメシヤを拝みにきたのか。異邦人がなぜ、ユダヤのメシヤを拝みにきたのか。インドの異邦人が、どうしてユダヤにメシヤが生まれることを察知したのか。何のためにインドからユダヤのベツレヘムにやってきたのか。異邦人である東方の博士たちが、なぜイスラエルのメシヤに対する正式な礼拝の仕方を知っていたのかという、多くの疑問があるのです。

 インドからユダヤまでは、ラクダに乗って半年はかかったでしょう。乳香と没薬を用意するのにも数ヵ月かかったでしょう。博士たちは、どうしてイエスが誕生する七、八ヵ月前に、それを察知したのでしょうか。はるばるインドから、なぜイエスを拝みに来たのでしょうか。ここに大きな秘密があるのです。

 ヘロデ王は、東方から来た博士たちに、「ユダヤ人の王として生まれた方が、どこにおられますか」と聞かれるまで、メシヤが生まれたことを全く知らなかった。もし東方の博士が尋ねなければ、メシヤの存在に全く気がつかなかったでしょう。そうしたら、マタイによる福音書二章はできなかったことになります。また、新約聖書全体が成立しなかったかもしれないのです。東方の博士たちの訪問は、それくらいに重大な意味を持っているのです。ですから、釈尊が説いた仏典は、新約聖書への重要な道案内になるのです。

 新約聖書の真髄を正しく理解するためには、どうしても釈尊が説いた「空」を体得しなければならない。これが新約聖書の真髄を学ぶ順序になるのです。また、釈尊が説いた「空」を正しく理解するためには、新約聖書の真髄を理解しなければならない。この点を世界の仏教学者、神学者が、全く見落としているのです。釈尊が説いた仏法が仏教に堕落した原因、新約聖書がキリスト教という宗教に転落した原因は、ここにあるのです。

 東方の博士たちは、星に導かれて、インドからベツレムにやってきたのです。釈尊は、「明けの明星」を見て、大悟徹底した。イエスは自分自身を「明けの明星」だと言った。東洋も西洋も「明けの明星」を中心にして、展開しているのです。ですから、釈尊が説いた仏法の真髄も、新約聖書の真髄も一つのことです。釈尊とイエスには、切っても切れない関係があるのです。


(内容は梶原和義先生の著書からの引用)

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