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  • 管理人chaya

あとがき


良い結婚相手を見つける。商売でお金を儲ける。豪華な家を建てる。貯金をする。地位や名誉を得る。これは単なる生活の中の座標です。これは人生の目的と言えるものではありません。とにかく意識が非常に低いのです。次元的に思想が低級です。大学教授がそうです。評論家、政治家がそうです。学校が目的を持っているかというと、持っていないのです。社会に役立つような人間を造るという目的は持っていますが、これは単なる人生の指標です。

社会に役立つ人間を造って何になるのでしょうか。人間社会は目的を持っていません。文明は目的を持っていません。国家も目的を持っていない。皆様の人生にも、目的はありません。これでいいのでしょうか。

現在の人間は生活はしていますけれど、本当に生きていないのです。生きていることは命を経験していることです。だから、本当に生きているのでしたら、命を経験しているはずですから、命について具体的に説明できるはずです。命とはこういうものだというように、実体的に説明ができるはずです。ところが、できないのです。

全世界の人間は、命を知りません。宗教は腐るほどありますが、命を全く教えていないのです。ただ人間にご利益を与えるだけです。ご利益は命ではありません。現在の人間生活に、へつらうだけです。皆様からお金を取り上げる、時間を取り上げる、そうして、皆様を食い物にするのです。宗教に近づくと、必ず食い物にされます。現在の人間は人生目的を持っていない。魂の盲者ばかりです。

とにかく、現代文明はひどいものです。皆様はこれに対して、どういう信頼感をお持ちでしょうか。皆様は恐らく無条件で文明を信じていますが、文明を信じてどうなるのでしょうか。皆様の生活の安定さえも、文明は保障しないのです。

現在の地球は、いつ地震が起こるか分かりません。現在の学者は、地震を予知することができないのです。学理、学説、ノーベル賞と偉そうなことを言っていますが、地震予知さえもできないのです。いつ地震が起こるか分からないということは、地球そのものが未完成だからです。人間自身がいつ死ぬか分からない。皆様の心臓が、いつ止まるか分からない。いつ病気になるか分からないのです。そういう状態で、果たして生きていると言えるのでしょうか。個々の人間が命の目的を考えていない。国家は国家目的を考えていない。文明は目的を持っていない。無目的のお先真っ暗な文明が、全世界の人間によって営まれているのです。

日本人は、自分の命のこと、魂のことを考えなさすぎます。ひどすぎます。これが文明の恐るべき欠陥です。現代文明のために、魂は殺されています。魂が殺されているから、人生目標が分からないのです。国家目的がないのです。文明の理想が持てないのです。魂が死んでいるからこういうことになるのです。一億二千五百万の日本人の中で、魂が生き生きしている人は、ほとんどいません。一人もいないと言ってもいいでしょう。何のために生きているのか、文明の欠陥が分からないからです。

大学で教えている専門学は、空理、空論ばかりです。はっきり言えば嘘です。嘘と言いましても、この世に生きている間は役に立ちます。政治学とか経済学は、人間が社会的に生活している意味では役に立ちますが、これは現世での出来事です。永遠の命のためには、何の役にも立たないのです。

皆様はあまりにも文明や人間社会を信頼しすぎています。信頼できるものは何もないのに、信頼しているのです。ノーベル賞でも、文化勲章でも本当に信用できるものはないのです。しかし、皆様が生きている命の本質は、信用できるのです。ところが、生きていながら命の本質が分かっていない。だから、自分の内側の命をじっと見つめようとしないで、外側の文明とか、学校教育、政治のあり方とか信頼できないものばかりを、信用しようとしているのです。

宗教は皆様の人生の責任を持つように言いますが、全然持っていないのです。責任が持てるほどの正しい命の見方ができないからです。神が全然分からないのです。仏が何か分からない、そういう人が宗教の指導をしているのです。

人間の人格は、本当の真理を捉えるだけの能力を持っているのです。真理とは死なない命です。般若がそれです。上智です。般若心経は死なない命を捉える知恵です。これは誰にでもあります。これを活用すればいいのです。

本当の真理とは何か。本当の神とは何か。現在皆様の心臓が動いているという事実が、そのまま本当の神が現われているのです。神はこんな近くに、しかも確実に存在しているのです。

天という絶対が、物理運動の根本になっている。宇宙エネルギーの根源が、皆様の心臓を動かしている。自分の心臓を動かしている神と、皆様は一緒にいるのです。しかし、それを捉えることができない、なぜでしょうか。なぜかと言いますと、魂が殺されているからです。魂が殺されているから、自分の心臓が動いている本当の命、絶対者の命が、皆様と一緒に存在しているのに、それが分からないのです。

目が見えるというエネルギーは、地球が自転、公転しているエネルギーと同じです。天然自然のエネルギーの根源が、皆様の命と一緒に働いているのに、それを皆様は捉えることができない。なぜか、文明を信じているからです。この世の中を信じているからです。皆様の目が見えるのは、皆様ご自身のエネルギーではありません。宇宙のエネルギーが、皆様と一緒にあるからです。皆様が生まれる前に、天然自然のエネルギーと、皆様の魂は触れ合っていたのです。だから、天然自然のエネルギーがそのまま皆様の命の根源になっているのです。命の根源が皆様の肉体の中に働いている。これに気づきさえすれば、死なない命を捉えること、神という絶対をつかまえることは、それほど難しいことではないのです。

神は絶対そのものです。現在の日本に絶対という言葉はありますが、絶対という言葉が何を意味するのか、全く分からないのです。皆様は現在、自分の心臓が動いていること、自分の目が見えることによって、絶対の実物を経験しているのに、それが分からないのです。

どのように分からないかと言いますと、普通の人間は常識で生きています。これが底辺にあります。その上に文化があります。法律、宗教、学問、芸術、自分の判断力があります。教育、宗教、芸術はすべて文化の中に含まれるのです。しかし、これは絶対の領域ではありません。絶対は文化、文明とは違います。ところが、皆様が生きているのは、絶対によるのです。心臓が動いていることが絶対です。地球が自転、公転しているエネルギーが、そのまま皆様の心臓を動かしている、これが絶対です。これを聞けば、ああそうかと分かりますが、それを捉えることができない。皆様の魂が死んでいるからです。

それを捉えるにはどうしたらいいのか。助け手が必要です。自分一人ではとても無理です。自分の中にいる神の実体、宇宙の絶対人格を自分の力で捉えることは、今の人間では全くできないのです。そこで助け手がどうしてもいるのです。

イエスは言っています。「目は体の光である」。光は英訳ではランプになっています。人間の目はボディーのランプです。「ボディーのランプが澄んでいるなら、正しい状態であるなら、全身が明るいだろう」と言っているのです。

キリスト教ではこの意味が分からないのです。全身が明るいというのは、肉体のボディーのことではない。ホールボディーとは、生まれる前にあったボディーの原理をいうのです。

現在地球上で生きているのは、宇宙的な能力、宇宙人格の能力、宇宙のエネルギーの本質が、そのまま皆様の肉体に働いているからです。宇宙人格の働きが、太陽の働きになり、空気の流れになり、電気の働きになっているのです。電気と太陽と、空気の働きがなかったら、人間は生きていけないのです。これが宇宙の絶対の働きなのです。これが皆様の心臓を動かしているのです。自分の外にある大きい宇宙の働きと、自分の中にある命の二つの働きが、人間生活を可能にしているのです。

この命を捉えたらいいのです。自分の外にも、内にも働いている命を、どうしても捉えなければいけないのです。そのためには、今までの自分の常識、経験は何の役にも立ちません。まずこのことを十分に承知する必要があるのです。般若心経の五蘊皆空、色即是空はそれを言っているのです。

一切空です。まず自分の思い、自分が学んだ知識、常識を空じてしまうのです。空じるとはどうすることか、無くすことではありません。無くそうとしても無くなるものではありません。空じるとは棚上げすることです。自分の妄念は無くそうと思っても無くなりません。無くす必要はない、棚上げすればいいのです。問題にしなくてもいい、問題にしないことが、棚上げすることになるのです。

そうして、聖書の言葉をじっと見るのです。自分の妄念を棚上げして、聖書の言葉をじっと、じっと見るのです。聖書の一句でいいですから、それを見つめるのです。辛抱強く考え続けるのです。そうしたら、ある日、ある時、肉の自分が爆破されて、その言葉が命になるのです。これが神の御霊を受けたことです。この御霊が皆様に神の実体、命の実体を教えてくれるのです。これが実現するまで、聖書を見つめて頂きたいのです。


(内容は梶原和義先生の著書からの引用)

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