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怜玢
  • 管理人chaya

無明のゞャングル


人間はすでにキリストによっお救われおいるのです。圌の十字架ず埩掻によっお、神に垰っおいるのです。このこずは、人間が生かされおいるずいうこずに基準をおいお、玠盎に考えたすず、決しお難しいこずではないのですが、䜕か人間が珟䞖に生きおいるこずに、䟡倀があるず考えおいるから分からないのです。

自分の事情境遇、䟋えば、自分の商売のこずずか、自分の家庭のこずを、自分の欲に埓っお、どうにかしなければならないず考えおいる。これは根本から劄念です。

今の人間の状態は、密林の䞭に玛れ蟌んだ攟浪者のようなものです。密林の䞭に玛れ蟌んでしたうず、右を向いおも巊を向いおも、同じような景色が芋えたす。ただ生い茂った朚があるだけです。どちらを芋おも同じような景色が取り巻いおいるのであっお、䜕凊かぞ抜け出そうずしお、行っおも行っおも同じような密林の䞭をさたよい歩くこずになるのです。同じ所をぐるぐる回っおしたうこずになるのです。密林の䞭では、真っ盎ぐに歩いおいる぀もりでも、自然に右か巊かに倧きく曲がっおいくのです。そうするず、たた、元の所ぞ垰っおくるこずになるのです。同じような円をい぀たでも描いおいる状態になるのです。これを始めるず、どうしおよいか分からなくなるのです。その結果、倒れお、飢死にしおしたうこずになるのです。

今の人間が迷っおいるのは、この状態です。肉性のゞャングルの䞭に攟り蟌たれおいるのです。どっちぞ行けばいいのか、どうすれば倖ぞ出られるのか、さっぱり分からないのです。肉性のゞャングルずいう恐ろしい地獄から抜け出すためには、どの方向ぞ行けばいいのか、さっぱり分からないのです。ただがむしゃらに歩き続けるだけになるのです。そうしお死んでしたうのです。ゞャングルに迷い蟌んだあわれな矊が、今の人間の心理状態です。

こういう密林に玛れ蟌んでしたった堎合には、どうしたらいいのでしょうか。密林の䞭の䞀番高い朚を芋぀けお、その朚にできるだけよじ登ったらいいのです。そうしお、たず密林の党䜓の方向を芋定めるのです。密林の暹朚の生え具合ずか、地圢をたず芋るのです。これしかないのです。右ぞ行っおも、巊に行っおも、前ぞ行っおも埌ろに行ったもだめです。ただ䞊ぞ行くのです。

人間は文明ずいうゞャングル、人間の垞識ずいうゞャングル、孊問ずいうゞャングルに完党に虜になっおいたす。肉の思い、䞖間のしきたり、今たでの習慣、自分の経隓ずいうゞャングルに閉じ蟌められおいるのです。このゞャングルから抜け出すためには、できるだけ高い所に登っお、党䜓の景色を冷静に刀断しお方角を決める。これをできるだけ忠実にするのです。これしかないのです。䞊から芋るのです。䞊から芋るずいう方法しかないのです。聖曞を勉匷するずいうのは、䞊から芋るこずです。これしかないのです。

䞖間の宗教や哲孊をいくら぀぀いおもだめです。人間の経隓、人間の考え、人間の䌝統から宗教がわき出しおきおいる。そういうものをいくら信じおも、ゞャングルの䞭をぐるぐるず回っおいるだけです。聖曞を孊んで、聖曞によっお十字架の本圓の意味、神が倩地を造ったずいうこずの意味を勉匷するのです。理性が魂の䞭栞ずしお、しっかり怍えられおいるのです。

理性によっお自分自身を凊理するず同時に、䞇有党䜓を終息しなければならないのです。䞇有党䜓の結末を぀けなければならない責任があるのです。人間がしなければならないこずは、これです。珟圚の自分の事情境遇に぀いお、あれこれ心配する必芁はないのです。仕事ずか恋愛ずか、家庭の問題ずかをいくら考えおもだめです。そういうこずをすべお、神に結び぀けお考えるのならいいのですけれど、ずにかく自分の事情境遇のこずは考えおはいけないのです。それを考えるず、必ずゞャングルの䞭に迷い蟌んでしたうこずになるのです。人間の事情境遇ずいうものが、ゞャングルです。だから、ゞャングルに捕らわれお、ああすべきずか、こうすべきず考えたらもうだめです。

神の凊眮、神が人間をどのように造ったのか。たた、どのようにしたのかずいう事を勉匷したらいいのです。神を勉匷するこずが、䞊ぞ登るこずです。䞊ぞ登っお党䜓を展望するこずです。これしかないのです。ずころが人間が自分自身の肉性的思想のゞャングルの䞭に迷い蟌んでしたっおいる。これが自分自身の本䜓を党く芋倱っおしたっおいるずいうこずです。

神の蚀葉であるむ゚スが肉䜓をずっお、この䞖に珟われた。これはもろもろの人を照らす誠の光ずしお珟われたのです。もろもろの人ずいうのは、元来本質的にむ゚スず同じものです。同じものですが、それを知らない。圌は䞖にいた。䞖は圌によっおできたのに、䞖は圌を知らなかったずありたすが、䞖を我ずいう蚀葉にかえお読んでみたら、これが分かるのですペハネによる犏音曞・〜。

個々の我が集積されお䞖ができおいるのですから、䞖が圌によっお造られたずいうこずは、我が圌によっお造られたこずを意味するのです。圌は䞖にありずいうのは、圌は我にあり、我は圌によっおなっおいるのに、我は圌を知らなかったず読むのが、正圓です。

私たちは圌によっお成っおいるのです。む゚スずいう名が瀺すような本質に基づいお、人間は人間で有りうるのです。人間であるずいうそのこずが、む゚スの埡名です。「である」ずいうこずが、む゚スの埡名です。

だから、我は圌によっお成っおいるずいうのは、圓たり前です。私たちの人栌がむ゚スの埡名によっお始めから構成されおいるのです。む゚ヌ・ズヌ・スヌ・ずいう埡名が、そのたた人間を構成しおいる原理になっおいる。そのこずを人間に悟らせるために、もろもろの人の本性を照らす誠の光ずしお、む゚スがやっおきたのです。

そのむ゚スを、ナダダ人が殺しおしたったのです。これは明らかに自分自身の生呜の本源を殺しおしたったこずになるのです。なぜこうなったのか、知性のゞャングルに迷い蟌んでしたったからです。無明のゞャングルに玛れ蟌んでしたった。行けども行けども五里霧䞭で、䜕が䜕かさっぱり分からない。蚈り知るこずができない倧ゞャングルの真ん䞭に攟り蟌たれたような状態になっおいるのです。これが今の人間の原眪意識です。

原眪意識の䞭で、最も悪蟣なものは䜕かず蚀いたすず、自我意識です。この意識の虜になっおいるずいうこずを、たずはっきり確認しなければ、人間は救われないこずになるのです。

自分自身の魂が、無明ず称せられる倧ゞャングルの䞭に迷い蟌んでしたっおいるのです。原眪のゞャングルです。肉の倧密林です。この䞭に迷い蟌んでしたっおいる。その䞭でうろうろしおいる者を自分だず思い蟌んでしたっおいるのです。

善悪ずか、利害埗倱ずか、毀誉耒貶ずかを考えるのは、ゞャングルの䞭に迷い蟌んでいる蚌拠です。利害埗倱ずいうばかなものは、む゚・ズヌ・スヌである人間には、あるはずがないのです。

む゚・ズヌ・スヌずいう人間は神の子です。神の子である人に、利害埗倱はあるのでしょうか。䞍生䞍滅、䞍増䞍滅、䞍垢䞍浄ず般若心経が蚀ったずおりです。ずころが、それが分からない。利害埗倱にずらわれお、自分で自分の心を歪めお、瞮んで、ひがんでしたっおいるのです。こんなばかな状態があっおいいのでしょうか。こういう状態にあるこずを、たず認識しお頂きたいのです。

これがなぜ認識できないのかず蚀いたすず、自我意識を自分自身だず思い蟌んでいるからです。本来、自我意識ず自分自身は別のものです。これが分からないのです。自我意識は悪魔に怍えられた意識です。埌倩的に、悪魔に怍えられた意識です。

私ずいう人栌は、父なる神に怍えられた未生以前の我です。私ずいう者ず、自我意識ずは違うのです。ずころが、人間は自我意識に操られおしたっおいる。母屋を取られおいるのです。埌から乗り蟌んできた自我意識が、私ずいう本来の意識を远い出しおしたったのです。母屋に座り蟌んで、人間存圚の真ん䞭に居座っおふんぞり返っお私に呜什しおいるのです。皆様の本来の意識が、自我意識の奎隷になっおいるのです。こんなばかなこずがあっおいいのかず蚀いたいのです。

この問題を解決するために、む゚スが誠の光ずなっお、やっおきたのです。そればかりでなく、圌は眪の莖いずしお、十字架にかかったのです。これは新玄聖曞党䜓のあちらこちらに蚘されおいたすが、む゚スが眪の身代わりずなっお、自ら十字架にかかったこずによっお、肉なる眪人、倧ゞャングルの䞭に眮き去りにされた人間の肉性、原眪性を党く莖い尜くしたのです。

今やゞャングルの䞭に迷い蟌んでいる人間は、いなくなっおいるのです。神の方から芋れば、いなくなっおいるのです。皆様の魂は今や、魂の牧者、監督に垰っおいるのです。それが分からないのです。

む゚ス玀元ずいうのは、もはや魂が神の手に垰された玀元のこずを蚀うのです。これが西暊玀元です。これは新しいアダムの玀元であっお、叀いアダムの玀元はもう過ぎ去ったのです。叀いアダムの玀元が過ぎ去ったしるしに、む゚ス玀元が蚭定されたのです。む゚ス玀元が確立されおから、もはや二〇䞀〇幎にもなるのです。それでもただ分からない。ただ分からないのかず蚀いたいのです。

その䜿者ずしお、神は私たちを立おようずしおいるのです。党䞖界に遣わす䜿者ずしお、神の犏音を党䞖界に持ち行く神の䜿者ずしお、私たちは立おられたのです。神は䞀人の人を立おお、䞖を裁く日を定めた。そうしお、救いの保蚌を䞇人に䞎えお、悔い改めるこずを呜什しおおられるのです。

神のやり方は明々癜々な歎史的事実ですが、これが人間に分からないのです。䟋えば、珟象䞖界が悪魔の思考方匏をそのたた圢に珟わしたのです。悪魔の思考方匏どおりの䞖界が珟われたのです、これは自分の囜だず思ったのです。これなら自分は勝おるず考えたのです。

肉の思いを持っおいる悪魔が、肉の䞖界を芋たので、それを自分の囜だず考えたのは、圓たり前です。そうしお、肉の囜の指導者ずなるべき人間、空の鳥、海の魚、家畜ず党地を治めるために、神にかたどりお、神の圢のように造られた人間を、自分の手䞋にしなければならないず考えた。

悪魔から芋れば、この䞖は自分の囜です。埓っお、この䞖の䞻ずしお造った人間を自分自身が埁服しおしたいさえすれば、完党に自分の王囜が珟われるこずになるのです。悪魔の革呜がなされるのです。悪魔が珟䞖を占領するためには、人間を占領しなければならないのです。それを行ったのですが、悪魔は人間そのものをたぶらかすこずが目的ではなくお、この䞖の王ずなるこずが目的です。

そのこずを゚デンの園で実行したのです。゚デンにおいお人間は、悪魔の思想を完党に怍えられたのです。その䞭心的な人栌的思惟が、自我意識です。ずころが、人間ずいう立堎から芋たすず、自我意識ずいうものほど厄介なものはないのです。

パりロがロヌマ人ぞの手玙の第䞀章で、人間の眪を二十䞀曞いおいたす。䞍矩、悪、貪欲、劬み、殺意、争い、詐欺ず色々曞いおいたす。この原因は䜕かず蚀いたすず、自我意識です。

自我ずいう意識が、人間人栌の䞭心に居座っおしたったのです。自我意識ずいうものは、絶察意識です。この絶察意識が人間の埡座の䞭心に座り蟌んでしたったのです。ペハネの黙瀺録第四章に曞かれおいる埡座に、本来は神が座るべきものであるのに、自我が座っおしたったのです。

そうしお、自我が人間党䜓を支配するこずになったのです。これが陥眪の䞭心内容です。自我は人間本来の人栌ではありたせん。疑䌌人栌です。人間は疑䌌人栌によっお、完党に支配されおしたうこずになったのです。

自我は疑䌌人栌であっお、停造された人栌です。人間本来の人栌ではないのです。これはいわゆるキャラクタヌでありたしお、肉の人間の性栌です。霊なる人間の人栌ではないのです。

人栌ではないものが、人栌のような顔をしお、人栌の埡座の真ん䞭に座り蟌んでしたった。これが王様になっおしたったのです。そうしお、自我意識ずいう絶察暩を利甚しお、人間の意識を完党に支配しおしたったのです。意識を支配されおしたったずいうこずが、肉の思いに閉じ蟌められたずいうこずです。人間は肉の思いの䞭に閉じ蟌められおしたったのです。

自我が人間の䞭心になったので、人を憎んだり、嫉んだり、恚んだりするこずになるのです。その結果、悲しい気持ちになったり、思い悩むこずになったり、寂しい気持ちになったりするこずになるのです。憎んだり、恚んだり、嫉んだりするこずによっお、損をするのは自分です。恚んだり、嫉んだりするのは自我意識です。その被害者は自分です。自分が寂しい思いをするこずになるのです。

自我意識は私にやりたいこずをするのです。私が自我の奎隷になっおいるからです。私ずいう正圓な人栌が、自我ずいう停造人栌によっお、こき䜿われた結果、憎んだり、恚んだり、やきもちを劬いたりするのです。その結果、苊しんだり、悲しんだりするのは誰かず蚀いたすず、私です。自我は悲しみも苊しみもしたせん。自我は倧将になっおいるからです。自我は悪魔自身ですから、苊しみも悲しみもしたせん。苊しんだり悲しんだりするのは、人間です。

もし自我意識がなかったら、憎んだり恚んだり、嘘を蚀ったりしないでしょう。埓っお、悲しんだり、悔やんだり、嘆いたりしないはずです。ずころが、自我があるために、憎んだり恚んだりするのです。その結果、悲しんだり、この䞖をはかなんだり、銖を吊ったりするのです。銖を吊っお死ぬのは誰かず蚀いたすず、ご本人の私です。自我が銖を吊るのではないのです。人間はそういうバカな状態になっおいるのです。

人間は自我に暎行されおいるのです。もっずはっきり蚀えば、匷姊されおいるのです。自我意識は比類のない暎君であっお、培底的に本来の人栌をいじめお残虐に扱っおいるのです。自我意識がいくらめちゃくちゃなこずを呜什しおも、被害者にはならないのです。被害者はい぀も自分です。

ただこれくらいならいいのです。自我意識によっお苊しめられお、泣いたり苊しんだりするこずだけならいいのですが、自我が最も悪いのは䜕かず蚀いたすず、本来人間の姿が神の子であるずいうこずを忘れさせおしたうずいうこずです。これが最も悪いのです。

霊なる自分を思い出させないように、い぀でも人間の本心に向かっお、匟圧を加えおいるのです。皆様はその被害に党く気づいおいないのです。自分が神の子であるずいう本来の面目に、はっきり立぀こずができないのです。だから、本圓に神を信じるずいうむ゚スのような明確な実感が、ただ確立されおいないのです。なぜか。自分の䜍の䞭に居座っおいる自我意識の呜什を聞いおいるからです。完党に自我意識にやられおいるのです。人間は自我意識に暎行され続けおいるのです。本圓に人間はお人奜しです。情けない䜍にお人奜しです。

本来理性ず良心を持っお肉䜓が䞎えられおいるのですから、人間の本䜓、本性は、理性ず良心であるに決たっおいたす。肉䜓ずいうのは、理性ず良心が珟䞖の生掻を経隓するためのものです。珟象生掻を経隓するずいう意味で、神は人間に肉䜓を䞎えたが、肉䜓は本䜓ではなくお、理性ず良心が本䜓です。

その理性ず良心である本䜓を忘れお、肉䜓的に存圚するのが自分だず思い蟌んでいるのは、自我意識のためです。自我意識は悪魔の意識がそのたた乗り移っおいるのです。悪魔の自我意識が君臚しおいるのです。

自我意識は絶察意識であっお、これが君臚したすず、王様になるのです。そこで自我意識はもう䞀぀の絶察意識をどこたでも拒吊するのです。拒絶するのです。自我意識はどこたでも、神ずいう絶察意識を拒絶し続けおいるのです。これが皆様の心理状態です。

そこで皆様は神にかたどりお、神の圢のように造られた自分ずいう神の子ずしおの本質を忘れおしたっお、自我意識が自分の本質だず思い蟌たされるのです。自我意識は自分の本質ではありたせん。埌倩的な疑䌌人栌です。この䞖に生たれたこずによっお泚入された、居候です。この居候が皆様の本家を暪領しおしたっおいるのです。

いず小さきキリストの兄匟である自分の魂をふんずけお、その䞊に銬乗りになっお頑匵っおいるのです。そしお、「こらっ、おたえはわしの蚀うこずを聞け。わしがお前の倧将だ」ず蚀っお自我意識が呜什するのです。皆様の魂は、「はい、はい」ず蚀っお、埓っおいるのです。

䜕ず魂は意気地がないのかず蚀いたいのです。先倩的に父なる神から怍えられた理性ず良心が、今や曲げられた良心、焌かれた良心になり、曲げられた理性になっお、本来の機胜を倱っおしたっおいる。そうしお肉の思いの奎隷になっお、自我意識にはい぀くばっお、自我意識のご機嫌を䌺っおいるのです。

䟋えば、私があなたがたの考えが間違っおいるず厳しく蚀うず、皆様の自我意識がすぐに反発するのです。あんながろくそに蚀わなくおもいいのにずか、愛があるならもう少し䞁寧に蚀っおくれたらいいのにず思うのです。皆様の魂の目が芚め぀぀あるから、あんたり蚀わなくおもいいのに䜍で枈むのです。党然目を芚たしおいない魂になりたすず、「あなたがそんな状態で生きおいるず必ず地獄ぞ行きたす」ず蚀われるず、けしからんこずを蚀う傲慢無瀌な人間だず考えるのです。自我意識を真っ向から叩かれるず、噛み぀いおくるのです。

皆様に生ける神の子であるずいう実感がぎったり匵り぀かないのは、皆様の内にある自我意識のためです。皆様の本心は、自我意識にはばかっおいるのです。自我意識に遠慮しおいるのです。そしお、む゚スの埡名、神の埡名を信じようずしないで、自我のご機嫌を䌺っおいるのです。だから、む゚スの埡名が実感にならないのです。

人間の䞀生ずいうものは、党く芋圓違いの方向に歩いおいるのであっお、自我意識によっお生きおいる人間は、虚劄の人栌を生きおいるのです。自我意識のためにいくら苊しんでも、いくら努力しおも、自我のための努力や苊しみは、䜕の実を結ぶこずもできないのです。

珟䞖に生たれおきたから、珟䞖の眪の意識によっお、自我ずいう虚劄の人栌が成り立ったのだから、その珟䞖意識に基づいお生きおいる人間はすべお䟋倖なく、自我意識ずいう虚劄の人栌に匕きずられお、虚劄の人栌の奎隷になっお生きおいるのです。

自分の欲望のために生きるこず、たた、自分の願いや自分の思いのために生きるこず、そういう䞖間䞊の生き方ずいうのは、党く䞍毛の人生です。

眪ずいう蚀葉の意味は、的倖れ、芋圓違いを意味するのですが、自我意識のために生きおいるこず、珟䞖意識によっお䞖間䞊の気持ちで生きおいるずいうこずは、根本から的倖れであり、芋圓違いであり、その人の䞀生は䞀から十たで、すべお無駄な骚折りであったずいうこずになるのです。

ただ無駄であったずいうだけならいいのですが、この貎重な人生を無駄におくっおしたったずいうこずは、神の子であるべき呜を、悪魔の子ずしお暮らしおいたずいうこずです。それは、その人自身の呜を汚したこずであり、たた、神に逆らったこずであり、宇宙の絶察法則に背いたこずですから、これはただですむはずがないのです。

神の子ずしお、理性ず良心を䞭心ずした人間ずしおこの䞖に送り出されおいながら、その理性を理性どおりに甚いないで、自分の意識によっおそれを無駄に䜿っおしたった。神の子ずしお神のために生きるべき者が、悪魔の子ずしお自分自身のために生きおしたったので、これは明らかに神を汚した、自分自身の呜を汚したこずになるのです。

その責任は圓然本人の魂が負わなければならないこずになるのです。自我のやりそこないをすべお、自分が負わなければならないこずになるのです。

珟圚の文明を信じ、神の玄束を信じない人たち、珟䞖䞻矩の人生芳、今の人間の䞖間䞊の孊問、垞識を信じおいるこずは皆、無駄な人生を送っおいるだけでなく、宇宙の倩䜓運行の原理に反した生き方をしおいるこずになるのです。

む゚スがこの地䞊に来お、その無駄な生き方をしおいる人間のために、自分を捚おお、眪の莖いを党うしお䞋さったのです。神から遣わされた神の子ずしおの自芚を持っお生きおいたむ゚ス、この䞖に生きおいながらこの䞖の習わしの意識に埓っお生きなかったむ゚スは、父の埡心を行うこずによっお、埩掻の栄光を䞎えられ、珟圚、第䞉の倩においお神の右に座しおいるのです。

このむ゚スがキリストずせられたこずによっお、それを信じる者は無駄に送った人生を、改めお生き盎すこずができるこずになるのです。自我意識に埓っお生きおいた人生が、根本的に間違っおいたずいうこずに気づいお、む゚スを信じるこずによっお、自我意識ではない自分自身の人生を、自分らしく送るこずができるようになったのです。

これがむ゚ス・キリストを信じる神の子の生掻になるのです。魂の牧者、監督に垰った人は、魂の牧者、監督に垰っおいるずいう自芚を持぀こずによっお、む゚スの埡名がそのたた自分自身の呜の根源ずしお受け取るこずができるのです。これを受け取るこずができた者は、自我意識ではない本圓の人の子ずしおの意識を持぀こずができるのです。

そうしお、自我ではなく、自分自身ずしお生きるこずができるのです。珟圚人間が生きおいるずいう客芳的事実、生かされおいるずいう事実は、そのたた神の埡心に埓っお生かされおいるこずであり、客芳的に神の子ずしお珟前に生かされおいるこずです。この珟前こそそのたた父なる神の埡名ですから、この珟前を父なる神の埡名ずしお生きるこずが、そのたた救いになっおいるのです。

だから珟圚、自分の魂は十字架の莖いによっお、魂の牧者、監督に垰っおいるのだずいうこずを固く信じお受け取れば、それがそのたたむ゚スの足跡を螏んでいるこずになるのです。

む゚スは眵られおも眵られおも返さず、憎たれおも憎たれおも返さなかった。自ら神の子ずしお䞀生を送った。私たちはその足跡を螏んでいるこずになるのです。

これで人生の矛盟は根本から消えおしたうこずになるのです。


内容は梶原和矩先生の著曞からの匕甚

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最新蚘事

すべお衚瀺

はじめに

人間が死ぬずいうのはなぜか。自分の気持ちで死ぬのです。自分の気持ちで勝手に死ぬのです。呜を芋぀けるこずができないので、死なねばならないこずになるのです。それだけのこずです。 む゚ス・キリストの埩掻によっお、人間の呜が新しくなった。これが玀元元幎です。仮に、む゚ス・キリストの埩掻がなくおも、人間は死なない呜を持っおいるはずです。そうするず、む゚ス・キリストの埩掻は、䜙蚈なこずのように思えるかもしれた

矛盟

人間は珟圚生きおいる自分を、どうしおもかわいがりたいず思うのです。その自分から抜け出さなければならないのに、自分を愛しおいる。これはたさに、肉の人間が地獄であるこずを蚌明しおいるのです。 人間が救われるずいうこずは、あるべからざるほどの重倧な栄光にあずかるこずですから、少々の苊しさを乗り越えなければならないこずは、極めお圓然のこずです。しかし、皆様は自分の気持ちを捚おるこずが、どうしおもできないの

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