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  • 管理人chaya

人間の統合


日本人の場合、世界観が全く間違っているのです。世界観というのは物の見方という事ですが、この間違いは当人には分かりません。日本人はその間違いが到底分からないでしょう。

例えば日本には天皇制がありますが、その値打ちが分かっていません。憲法の第一条には、天皇は日本国のシンボルである。国民統合のシンボルであると書いています。

国のシンボルは何とか理解できますが、国民統合のシンボルは理解できないのです。国民とは人間のことですけれど、人間が統合するとはどういう事なのか。国民統合という思想は、日本の憲法第一条にあるだけであって、世界中のどこにもないのです。

人間が統合するということは、一体有りうるのでしょうか。そういうことを日本の憲法にうたっているのです。しかも国体に関する重要なテーマとしてうたっている。これは一体何のことでしょうか。これが日本人の誰にも分かっていないのです。

政治家にも分かっていません。恐らく憲法を造った人にも分かっていないでしょう。マッカーサーが承認して日本に与えたのですが、マッカーサー自身にも分かっていなかったでしょう。

人間が統合するとはどういうことか。これは新約聖書においてだけしか説明できない事なのです。日本の憲法第一条は新約聖書においてだけしか理解できないのです。そういうことを日本の憲法に書いている。つまり新約聖書を理解することなしに、日本の憲法を理解することはできないのです。

日本の憲法第一条は人間が統合することを説いている。そのシンボルが天皇だと言っている。新約聖書のローマ人への手紙十章九節では、「イエスが主である」と言っています。これが人間が統合することを意味しているのです。

イエスは私の主である。私の主であるということは、自分自身の人格が、イエス・キリストにおいて統合されることを意味しているのです。これを理解すれば、憲法第一条が理解できるのです。

日本の天皇が国のシンボルであるということは、キリストの位と同じようなものを、日本の天皇制は主張していることになるのです。

国民が統合するということは、新約聖書にしかありません。人間が統合するという思想は仏教にはありません。そういう分からないことを人間は信じているのです。訳が分からない日本の憲法第一条を信じているのです。

日本の天皇制を信じる者は、キリストを信じなければならないことになるのです。キリストを理解することなしに、日本の天皇制を理解することはできません。憲法第一条の建前がそうなっているのです。

ところが、日本人は新約聖書を全然信じていません。どういう訳でしょうか。新約聖書を信じていない日本人は、天皇制を信じていないことになるのです。全く訳が分からない国民です。

立正安国論は日蓮が北条時宗に送った手紙に書いています。立正とは正法を立てるという意味です。正しい法を立てる事によって、国を安泰にするのです。正法とは何かというと、法華経の事を言います。妙法蓮華経に南無することによって、安国になる。

要するに、仏教は法華経だけが正しいのであって、日蓮の主張だけが正しい。それ以外の仏教は全部間違っているから、やめておきなさいと言っているのです。それを北条時宗に具申した。これが立正安国論です。

仮に法華経が正しいお経であると仮定して、国が安全になるとしても、やがて日本という国は滅びることになるのです。

ところが、天皇制の原理はなくならないのです。日本人は天皇制の原理を知らないのです。天皇制の原理は、一つの国や一つの民族を超越しているのです。それは人間の歴史の流れの中に、人間が統合するという秘密があることを、天皇制が示しているからです。

人間存在は統合すべきものであることを、天皇制はうたっている。天皇ご自身はそういうことをご存じありませんが、日本の天皇は実はキリストの影です。キリストではありませんが、キリストの影になるのです。

だから、新約聖書を見なければ、国民統合のシンボルという意味が分からないのです。憲法第一条の内容はローマ人への手紙の十章九節でなければ説明できません。日本の政治哲学、法律学では説明できません。そういうものなのです。

日蓮が言うように、正法を立てることによって日本を安全にしてみても、日本という国が永遠に存在する値打ちを持っていません。なぜなら、日本は国家目的を持っていないのです。国家目的を持っていない国は、何のために存在するか分からないのです。永遠の価値がないものは、永遠に存在する値打ちがないのです。

天皇制は全世界から見て、どれほどの価値があるかということを、説明する人が今の日本にはいません。聖書を十分に勉強していないからです。

皆様の人生は永遠の価値を持っていません。八十年か九十年、長く生きても百年位です。それだけの値打ちしかありません。

ところが、皆様が今経験している命は、永遠の価値を持っているのです。命は永遠の価値を持っています。そこで皆様が、その命を正確に認識できたなら、皆様は死ぬことがなくなるのです。

皆様が今生きている命を正確に認識することによって、永遠に死なないものになるのです。そうして、皆様の人格は統合されるのです。皆様の命は神において統合されるのです。これが人間完成です。

命は統合されるのです。これが人間完成です。イエス・キリストの復活は、人間が統合されて、永遠に完成される状態を示しているのです。


(内容は梶原和義先生の著書からの引用)

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