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  • 管理人chaya

著者 梶原和義



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はじめに

人間は今の自分の命が死ぬに決まっていることが、よく分かっているのです。よく分かっていながら、それをやめることができない。これを原罪というのです。原罪とは何かと言いますと、生まれる前に犯した罪のことです。 アダムがエデンの園でへびの言葉を鵜呑みにした。サーペントというへびに引っ掛かったのです。サーペントの思想がそのまま肉の思いの原点になっています。皆様は好むと好まざるとに係わらず、生まれる前に肉の思

しあわせ

自分自身の存在が無意味であり、無価値であることを確認して、身を引くという考えが日本にあります。私さえ身を引けば、それで四方八方が円満に収まるという考えです。これは一種の自慰行為です。自分自身が犠牲になることによって、誰かを幸福にしてあげようとか、ある事を円満に収めてあげようという、母性愛的な、動物愛みたいな考え方です。そうして身を引こうと考えるのです。 その時の気持ちが全然嘘という訳でもないのです

料理

神の御心と人間の考え方のずれという、重要な問題があります。 パウロが次のように述べています。 「こうして、あなたがたは神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。また、愛のうちに歩きなさい」(エペソ人への手紙5・1、2)。 神が人間を愛している。特に子供として愛しているということ、人間が神の子であるという思想がなかなか理解できないのです。パウロがアレオパゴスの評議所で、古代ギリシアの詩人

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