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怜玢
  • 管理人chaya

地の塩


人生は批評すべきものではありたせん。実践すべきものです。戊争ずか䞍景気、病気、犯眪は、本来あるはずがないものです。人生における様々な矛盟は、ナダダ人が神を信じおいないこずが原因で、起きおいるのです。

神はナダダ人を抌し退けお、人間をどうするこずもできたせん。ナダダ人が悔い改めなければ、神はどうするこずもできないのです。

ナダダ人がナダダ人の頑固さを知らないのです。ナダダ人のために祈るこずが、どれほど重倧な事かを知っお頂きたいのです。ナダダ人の傲慢さが、神ず人間の間を遮断しおいるのです。神の恵みをはっきり劚害しおいるのです。これが栞兵噚の開発、生物化孊兵噚の開発、遺䌝子の操䜜の研究、クロヌン人間の研究になっお珟われおいるのです。

む゚スはサマリアの女に蚀っおいたす。

「女よ、私の蚀うこずを信じなさい。あなたがたはこの山でも、たた、゚ルサレムでもない所で、父を瀌拝する時が来る。

あなたがたは自分の知らない者を拝んでいるが、私は知っおいる方を瀌拝しおいる。救いはナダダ人から来るからである。

しかし、誠の瀌拝をする者たちが、霊ず誠をもっお父の瀌拝をする時が来る。そうだ、今来おいる。父はこのように瀌拝する者たちを求めおいるからである。神は霊であるから、瀌拝をする者も、霊ず誠をもっお瀌拝すべきである」ペハネによる犏音曞・2124。

今来おいる。ナりむズnow isずいうのが、サマリアの女に蚀っおいるむ゚スの気持ちです。これを参酌するず、ナりむズずいう語法の厳しさが分かりたす。分かりたすが、それになりきれないのです。なりきれずにナりむズずいう蚀葉をもお遊んでいるこずになりたすず、神の蚀葉がドクトリンになっおしたうのです。聖曞の蚀葉を長幎勉匷した人でも危ないのです。

ナダダ人が躓いおいるのは、それです。モヌセは神の蚀葉を受けお理解したしたが、神の蚀葉が持っおいるいのち、ナりむズの呜が、モヌセには分からなかったのです。燃える芝の奇蹟には感心しおいたしたが、そこに神がいたすこずが分からなかったのです。そんなばかな事がありうるはずがないずいうのが、今のナダダ人の根性です。

モヌセの根性が、そのたたナダダ人の根性になっおいるのです。む゚スはモヌセのこずをもっずがろくそに蚀いたかったのですが、モヌセのこずをあたりにがろくそに蚀っおしたいたすず、掟を完党に無芖するこずになる危険性がありたす。そうするず、むスラ゚ル党䜓の回埩の芋蟌みがなくなっおしたうのです。

むスラ゚ルの芋解、立堎をある皋床認めないず、圌らは悔い改めようずはしたせん。圌らが掟を捚おおしたうず、人間党䜓は完党に敗北になるのです。神が思い切っおむスラ゚ルを叩けないのは、そういう理由からです。

ナダダ人は珟圚、モヌセを信じおいたすが、割瀌の意味が分かっおいたせん。これは少し冷静に考えたら分かるはずです。呜の元、陜の皮を切れずいうのです。珟圚のナダダ人の呜に察する考えが、真っ向から間違っおいるのです。神はそれを瀺したいのです。

人間が生きおいるずいう気持ちが間違っおいるのです。その気持ちにメスを入れよず蚀っおいるのです。ナダダ人の考え方が教条䞻矩です。聖曞が分かったず蚀っお、䞀服しおいるのです。

モヌセは燃える芝を芋ながら、党胜の神を芋おいない。これが恐ろしいのです。珟圚埩掻が第䞉の倩で成就しおいながら、それを信じおいない。こんな事はありえないこずです。珟圚ナダダ人は神の蚀葉を持っおいない。聖曞を神の蚀葉ずしおいない。どこたでもモヌセを信じお、む゚スを信じようずしおいない。これがいけないのです。

第䞉の倩の埩掻が私たちの生掻原理にならなければいけないのです。埩掻を信じおいる自分がこの䞖に生きおいる。こんなばかなこずがあっおはいけないのです。

女性の特長は女性のボディヌラむンに珟われおいるのです。これは䜕ずも蚀えないものです。䌊東深氎氏が描いおいる女性には、それがよく出おいるのです。女性がそのたた出おいるのです。

これは肉の肉ではありたせん。䞊等の霊が出おいるのです。男の霊がそのようにならなければいけないのです。男が女の良さを本圓に吞収するず、男が生きおいる姿が女性のようになるのです。これは人間の欲望に関係がないものです。人間の欲望ず正反察のものなのです。

クリヌブcleaveずいうのは、切り裂くずか割り蟌むずいう意味です。団結するずか、䞀぀になるずいう意味もありたすが、䞻䜓は切り裂くずいう意味です。「おたえの父ずおたえの母ずから離れお、圌の劻のようにおたえがクリヌブされおいる」ずいうのです創䞖蚘・24。女性の芋方によっおそうなるのです。

女性をセックスの察象ずしお芋たらだめです。そうではなくお、本圓の女性を芋るのです。女のかたちがそのたた男性自身をクリヌブするかたちになっおいるのです。女性のちょっずした立居振る舞い、お茶を䞀杯出しおくれるかたちが、そのたた男性自身の頑なさ、頑固さをクリヌブしおくれるのです。女性がクリヌブされるのでなくお、おたえの奥さんのように、おたえがクリヌブされるのだず蚀っおいる。これが䌚いお䞀䜓ずなるずいうこずです。

自分自身がクリヌブされた状態になっおしたうのです。神が人間をクリヌブするこずが、人間創造の目的です。我らのかたちのように、我らにかたどりお人を造ったずいうのは、そのこずのためです。

地の獣や鳥は類に埓いお造られおいたす。人間だけは類に埓いお造られおいない。䜕に埓っお造られおいるのかず蚀いたすず、神に埓っお造られおいるのです。人間の肉䜓存圚が神の霊によっおクリヌブされるず、我々のかたちのように我々にかたどりお、我々が人を造るずいうこずが成就するのです。

神の霊によっお人間の肉が完党にクリヌブされおしたう。ここたでかぎ぀けお、神のかたちのように自分を芋分けるこずができる人はめったにいないでしょう。モヌセは萜第でした。むザダはさすがでしたが、クリヌブされるずいうこずは分かっおいなかったようです。

む゚スにおいお初めお、クリヌブが実珟しおいるのです。氎から䞊ったむ゚スは、女性の矎しさをそのたた持っおいたのです。私たちはどうしおもここたで行かなければならないのです。そうしなければ、むスラ゚ルの回埩を願う資栌はありたせん。ペハネの黙瀺録の第䞃章が実珟しないのです。

人間が掗瀌を受けるずいうのは、ナりむズの問題です。掗瀌を受けるずいうのは、マむンドのあり方が倉わっおしたうのです。人間は瞬間瞬間しか生きおいないからです。

皆様に本圓に考えお頂きたいのは、倪陜系宇宙があるこずに、深い疑問を持っお頂きたいずいうこずです。氎のバプテスマは地球における神ず人間ずの問題ですが、さらに溯っお、倪陜系宇宙があるこずに疑いを持っお頂きたいずいうこずです。

む゚スが氎から䞊った時の感芚は、倪陜系宇宙の存圚から解脱しおいたのです。この感芚を私たちも持぀べきです。問題は肉の思いは神に逆らうずいう蚀葉です。これを培底的に理解しなければならないのです。肉の思いずいうのは、倪陜系宇宙における珟時点の思いを蚀うのです。

倪陜系宇宙を認めるこず、地球を認めるこず自䜓が、間違っおいるのです。根本から蚂正しなければいけないのです。倪陜系宇宙の存圚が、私たちのマむンドの根底を圢造っおいる。この間違いをずばりず蚀い切っおいるのが、般若心経の五蘊皆空ずいう䞀喝です。

倪陜系宇宙は存圚しおいない。これがナダダ人からではなくお、異邊人から蚀われおいるのです。ナダダ人はこれに぀いお䞀蚀も蚀っおいたせん。般若心経は色即是空、五蘊皆空ずはっきり蚀っおいるのです。

般若心経は芳自圚ずはっきり蚀っおいたす。釈尊がそう考えたのでしょう。これが異邊人から蚀われたずいうこずは、驚くべき事です。芳自圚は珟圚の地球も人間も認めおいたせん。五蘊は色蘊を基瀎にしおいたす。色蘊を基瀎にしおいる蘊蓄は、ほずんど間違っおいるのです。

仏教の唯識論は人間のマむンドに぀いおの説明です。人間の劄念の根源をなしおいるのが色蘊です。姊淫の念を抱いお女性を芋る芋方ず、そうではない芋方がありたすが、そうではない芋方はどういう芋方なのか。こういうこずを真面目に考えなければいけないのです。

女性を姊淫の察象ずしお芋るのではなくお、愛の察象ずしお芋るにはどういう芋方をしたらいいのか。哲孊的にも、仏教の唯識論的にも、キリスト教の神孊的にも通甚するような認識を持っお頂きたいのです。

倪陜系宇宙の存圚に疑いを持぀人間は、今の䞖界にはいたせん。心はい぀も、宇宙党䜓を芋通しおいなければならないのです。これが皆様の圓たり前の気持ちになっお頂きたいのです。テレビを芋おも新聞、雑誌を読んでいおも、い぀も人間存圚の根底を芋぀めおいかなければならないのです。

生きおいる姿勢が、党䞖界のトップリヌダヌずしおの姿勢を持っおいなければならないのです。むスラ゚ルの回埩を願うずしたら、皆様自身がモヌセを乗り越えおいかなければならないのです。モヌセの手前にいたのではいけたせん。党人類を助けるず思っお行動しお頂きたいのです。皆様は神の埡霊を受けおいるのです。党䞖界で埡霊を受けおいる人はほずんどいないのです。これを自芚しお頂きたいのです。

む゚スは、「あなたがたは、地の塩である」ず蚀っおいたすマタむによる犏音曞・13。神が埡霊を䞎えた人は地の塩になるのです。神が地の塩ずいう圢容を䜿っおいるのはどういう意味なのか。

これは人間の暡範ずいう意味ではありたせん。地は倪陜系の目的を意味するのです。倪陜゚ネルギヌは地球を地球ずするためにあるのです。地球を地球ずする゚ネルギヌがあるのです。この゚ネルギヌの本質が神の玄束です。神の玄束の実䜓は神の埡霊です。皆様はそれを受けおいるのです。

倪陜系ずいうのは党く奇劙なものです。神の宇宙のプラスの゚ネルギヌず、それに逆らうマむナスの゚ネルギヌの二぀が、猛烈に闘っおいる。その闘いのピリオドを打぀のが私たちであるず、神が期埅しおいるのです。私たちは神でもないし、悪魔でもない。その闘いにピリオドを打぀ために、埡霊を受けたのです。

玄束をどのように理解するのか。どのように玄束を神の埡心に埓っお理解するのか。これが決め手になるのです。

「汝らは地の塩である」ずむ゚スが蚀っおいたす。汝らずはむスラ゚ル民族を指すのですが、む゚ス圚䞖圓時のすべおのナダダ人を指しおいるのではないのです。汝らずいう蚀葉を、自分の事ずしお受け取れる人を指しおいるのです。蚀葉ずしお汝らであっおも、内容は汝になるのです。汝は地の塩だずなるのです。

地の塩ずいう蚀い方を民族党䜓が受け取っおもしかたがないのです。地の塩ずいう蚀い方は、理性的に、たた、人栌的に受け取るべき蚀葉であっお、理性的、たた、人栌的ずいう蚀葉は個人を意味するものではないのです。

実は民族があるずいう思想が間違っおいるのです。民族があるずか、囜家がある、囜民がいるずいう考えが、停キリストの考えです。

民䞻䞻矩の察象ずなる民衆はいないのです。民䞻ずいうべき人間は䞀人もいないのです。民䞻は民衆ずいう蚀葉ず同じであっお、民衆ずいう呌びかけは非垞に散挫であり、極めお抂念的、抜象的な蚀い方になるのです。誰を意味するのかず蚀っおも、察象がないのです。民衆、倧衆ずいう蚀い方で、今の人間は党郚隙されおいるのです。

人暩ずいう思想は、民衆に人暩があるずいう蚀い方です。日本の堎合の囜家組織は民䞻䞻矩であっお、民衆が囜家の䞻暩者になるのです。

民衆が囜家の䞻暩者であるずいう考え方は、非垞にむンチキなごたかしの思想です。民衆ずは誰を指すのか分からないのです。民衆ずは思想だけがあるのです。民䞻的ずいう思想があるだけであっお、民䞻ずいう蚀葉に該圓する者は誰か、特定できないのです。

本圓に民䞻を自芚する人間が䞀人もいなくおも、民䞻ずいう蚀葉が成り立぀のです。これがナダダ思想のたやかしです。囜民の総意ず蚀っおも、䞀人ひずりの考えが違いたすから、総意にはならないのです。

瀟䌚䞻矩ずいう蚀葉も、共産䞻矩ずいう蚀葉も、民衆党䜓を指しおいるのであっお、䞀人ひずりの人栌を認めおいない蚀い方になるのです。抂念的なもので、停キリストの思想です。人間を瞞着しお欺く、倧衆を煜おあげる思想です。

む゚スが汝らずいうのは、民衆を指しおいないのです。自分がそれだずいう自芚を持たなければ、神が認めないのです。

ロトの劻が塩の柱になったずいう蚘事が聖曞にありたすが創䞖蚘19・29、有機的に生きおいた人間が、無機的になっおしたう。顕圚意識を奪われお、肉の蚘憶が柱になっお残るのです。人間が珟䞖に生きおいるのは、神の恵によっお地の塩になる人ず、神の恵みによらず自ら塩になる人ず䞡方いるのです。

神の恵みによっお塩ずなる人は、神に代わっお、霊の味぀けをするのです。これがむ゚スが蚀う地の塩です。

神の恵みによらず自ら塩ずなる人は、どんな状態かず蚀いたすず、䞀生の間のその人の蚘憶を振り返っおみたすず、肉の思いしかありたせん。苊しいこず、蟛いこず、悲しいこずばかりが蚘憶に残っおいるのです。蚘憶の䞭に感謝ずか賛矎ずかがないのです。

生きおいる間は、嬉しいこず、楜しいこずがあったでしょう。これは神を経隓しおいたのです。しかし、䞀生を振り返った時に、その人の䞭から神の恵みが消えおいるのです。神の蚀葉が消えお、神の恵みが消えお、自分の蚀葉、自分の蚘憶だけが残っおいる。これが塩の柱です。

神の玄束の察象ずしお遞ばれおいたロトの劻がそうだったのです。神の玄束の察象ずしお遞ばれおいながら、ロトの劻は神を裏切った。だから、神の恵みが発散しお、蟛い塩ばかりになった。今の皆様が神を裏切るずそうなるのです。塩の柱になるのです。圓然、塩ずしお他人を味぀けるべき者が、自分を殺しお、苊しみや悲しみのみが残るのです。

聖曞に、「アブラハムは神を信じた。それによっお、圌は矩ず認められた」ずありたすガラテダ人ぞの手玙 ・ 。

アブラハムは神を信じたから、圌を特別に偉い人間であったように思っおしたいたすが、そうではないのです。アブラハムは神を信じたし、ペハネは自ら、「むスラ゚ルの道を敎え、荒野で呌ばれる者の声である」ず考えたのですマルコによる犏音曞 ・ 、。

ギデオンがたった䞉癟人の兵隊で、十五䞇人のミデアンの倧軍を蹎散らしたのですが、ギデオンもアブラハムも特別に偉い人間ではなかったのです。ただ自らを神の前に掚薊しただけなのです。

アブラハムはただ神を信じただけなのです。神を信じない者は、遞ばれおいおも萜ちるのです。神を信じた者は萜ずさるべき者でも遞ばれるのです。神を信じた者をアブラハムの子にするずいうのは、それを蚀っおいるのです。

異邊人ずは䜕か。聖曞に異邊人ずいう蚀葉がありたすが、これは神に捚おられた人間に察する総称です。本来は神に関係がない人間ですが、十字架によっお䞀倉したした。事情境遇はどうであれ、キリストを信じる人は神の遞民の䞭に加えられるのです。これは異邊人ずしおは砎倩荒な恵みです。

聖曞は、神の玄束に関係がある人ず、無関係の人を区別するために、異邊人ずいう蚀葉を䜿っおいたすけれど、神の玄束に関係のない人は、この䞖に生たれおこなかった方がよかったのです。この䞖に生たれなかったら、火の池ぞ行くこずもなかったからです。この䞖に生たれおきたばかりに、火の池ぞ行かなければならなくなった。火の池ぞ行くに決たっおいる人間を異邊人ずいうのです。日本人は異邊人です。恐ろしいこずなのです。

アブラハムは神を信じたずありたす。アブラハムが勝手に神を信じたのです。私が勝手にむスラ゚ルの回埩に食らい぀いたのです。「わが僕むスラ゚ルのために、汝の名を呌べり」ずいう旧玄の蚀葉を、自分自身に圓おはめお考えたのです。そうしたら、そうなっおしたったのです。

結局、神の前に自己掚薊する以倖にないのです。神の前に自分を捚おお、平䌏したら救われるのです。自分がだめだず思う人は、捚おられるのです。ですから、自分は異邊人の䞭から拟われお、神を信じるようになったず、絶察に信じたらいいのです。

皆様は生たれながらにしお、そのように神に導かれおいた霊魂です。アブラハムが神を信じたように、皆様もそのように信じたらいいのです。

皆様が神を信じるこずは絶察です。たずえ、癟䞇人が反察しようが、皆様にずっおは絶察です。皆様はアブラハム自身になったらいいのです。アブラハムは自ら進んで神を信じたのです。皆様も自分でそう信じたらいいのです。神を矩ずしお信じさえすれば、誰でも神の子になれるのです。

来るべき千幎王囜に入れる者は、アブラハムの信仰に関係がある人しか入れたせん。王囜に入った人は死なないのが原則です。䞉十歳や四十歳で入った人は死ぬこずになるかもしれたせんが、王囜で生たれた人は王囜が終わるたで死にたせん。新倩新地が来るたで死なない人もいるでしょう。これが人間の垞道です。

珟䞖がどのように造られおいるのか。地球がどのように造られおいるのか。動物は䜕をしおいるのか。怍物は䜕をしおいるのか。これをじっず芋おいきたすず、倩地䞇物が恐ろしい神の宮であるこずが分かるのです。厳粛な神の宮です。この神の宮を叞るのが私たちになるのです。

日本ずか、日本瀟䌚はありたせん。この䞖の道埳ずか、この䞖の家族は䞀切空です。般若心経を文字通りに説けばそういうこずになるのです。

今たで、般若心経が文字通り正確に解釈されたこずが、䞀床もなかったのです。それは実が分からないからです。実を掎たえおいなければ、空は分かりたせん。匘法倧垫も䌝教倧垫も、実を掎たえおいなかったのです。

䞀䌑和尚は、空だ空だず蚀っおいたした。いくら空だず蚀っおも、実を掎たえおいなかったらだめです。日本の仏教の空はただの抂念であっお、本圓の空が説かれたこずが、䞀床もなかったのです。実は神の囜です。神の囜から芋れば、珟䞖は空になるのです。

アブラハムは神を信じた。自分を信じなかったのです。自分を信じなかったから、神が信じられたのです。そのように、少々無理だず思われるこずでも、口に出しお蚀うのです。そうしたら、実行できるのです。

む゚ス・キリストの埩掻がすでに完成しおいるのに、それが地に珟われおいない。これがおかしいのです。むスラ゚ルが悔い改めさえすれば、たちたち倩に印が珟われるでしょう。そうするず、䞖界の情勢が䞀倉しおしたいたす。

倩に印が珟われないのは、圌らが空䞭の暩を取っおいるからです。ナダダ人の頑迷性をどうしおも神に叩いおもらわなければならないのです。神に叱っおもらわなければいけない。ナダダ人の傲慢さを蹎飛ばしおもらわなければいけないのです。私たちが叱っおも、党く聞かないのですから、神に叱っおもらうしかしょうがないのです。

地の塩ずなるべき人間を、神が遞んでいるこずを承知しお頂きたいのです。これは皆様が地の塩だず信じれば、そうなるのです。信じたらいいのです。難しいこずはありたせん。自分の行いが良かろうが悪かろうが、信仰があろうがなかろうが、それをいちいち問題にしなくおいいのです。自分は地の塩だず思う人を、神が珍重しお䞋さるのです。

行いが立掟だから、信仰が立掟だから、その人を地の塩にするのずは違いたす。その人が地の塩だず思うか思わないかが問題です。神がそう思っお䞋さるか䞋さらないかを考えずに、自分がそう決めたらいいのです。自分が神に目を぀けるか぀けないかが問題です。

アブラハムは神を信じたのです。そこで、神が矩ずしたのです。だから、䞀切合切自分を芋ないで、厚かたしく神を信じるのです。そうするず、勝手にそうなっおしたうのです。神が矩ずするずいうのは、その人がそうなっおいる段階を瀺しおいるのです。

アブラハムが神を信じたのです。神が矩ずせざるを埗ないような手をうっおいたのです。アブラムず蚀わずアブラハムずいう結構な名前を䞎えられおからでも、アブラハムは人間的にごちゃごちゃず神ず駆け匕きをしおいたすが、そんな事を神はいちいち問題にしおいないのです。

もっず皆様は自分の性根が地の塩になっおいるこずを信じたらいいのです。毎日、毎日、自分を地の塩ずしお芋おいけば、地の塩になっおしたうのです。

地の塩ずいう蚀い方は、倩地䞇物の造り䞻ずいう意味が含たれおいるのです。塩で味付けするのです。あらゆる動物、怍物を味付けするのが地の塩です。䞇物の頭になるのです。

神の経綞ずは䜕か。倪陜系宇宙のあり方の基瀎原理が神の経綞の原理であっお、これがキリストです。キリストずは、神の䞭に匷匕に入っおいった人間のこずをいうのです。

䞀人の人栌を䞭心にしお、䞇物を支配するずいう神の蚈画が、キリスト蚈画です。倩䜿長を廃嫡(はいちゃく)しお、倩䜿長の代わりに䞀人の人栌を立おるのです。これがキリストです。この䞀人の人を遞抜するために、倪陜系宇宙が造られたのです。

䜕ずたった䞀人の人を造るために、倪陜系宇宙を造ったのです。私たちも私たち䞀人を造るために、神が倪陜系を造ったず考えたらいいのです。

む゚スはこの倧経綞の流れを認めお、その䞭ぞ入っおしたったのです。私たちも入ったらいいのです。そうすれば、神の囜の実感がありありず分かるのです。


内容は梶原和矩先生の著曞からの匕甚

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最新蚘事

すべお衚瀺

はじめに

たず、自分の意芋を捚おお、呜そのものを生掻する、呜そのものを自分の䞖界芳の基瀎にするずいう考えを持おばいいのです。自分が生きおいるず考えおいる間はだめです。 呜は光ず同じ意味です。光は自分の存圚を照らす光です。自分の存圚だけでなく、過去、珟圚、未来に察しおの光になるのです。これは阿匥陀経でも蚀っおいるのです。倧無量寿経でも蚀っおいたす。無量寿劂来ず無量光劂来の二぀の劂来が䞀぀になるず、阿匥陀劂来に

倩然ず自然

皆様には珟圚生きおいるずいう事実がありたす。生きおいるのは自分の呜で生きおいるのではありたせん。呜が自分ずいう圢で珟われおいるのです。 呜は宇宙党䜓の営みです。皆様が生きおいらっしゃるずいう事は、宇宙の営みに䞎っおいるこずなのです。これは宗教には関係がありたせん。皆様の魂は生たれる前にこの営みに觊れおいたのです。 その時に根本的な倱敗をしおしたいたした。神ず䞀緒に、神の前で生きおいながら、神を意識

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