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  • 管理人chaya

著者 梶原和義



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はじめに

まず、自分の意見を捨てて、命そのものを生活する、命そのものを自分の世界観の基礎にするという考えを持てばいいのです。自分が生きていると考えている間はだめです。 命は光と同じ意味です。光は自分の存在を照らす光です。自分の存在だけでなく、過去、現在、未来に対しての光になるのです。これは阿弥陀経でも言っているのです。大無量寿経でも言っています。無量寿如来と無量光如来の二つの如来が一つになると、阿弥陀如来に

天然と自然

皆様には現在生きているという事実があります。生きているのは自分の命で生きているのではありません。命が自分という形で現われているのです。 命は宇宙全体の営みです。皆様が生きていらっしゃるという事は、宇宙の営みに与っていることなのです。これは宗教には関係がありません。皆様の魂は生まれる前にこの営みに触れていたのです。 その時に根本的な失敗をしてしまいました。神と一緒に、神の前で生きていながら、神を意識

霊と肉

やがて人間文明が完成するでしょう。人間文明が完成しますと、心を更えることができなくなるのです。心を更えるというのは、非常に難しいことです。要点を言いますと、「肉の思いは死であるが、霊の思いはいのちである」(ローマ人への手紙8 ・ 6)ということです。 同じ花を見ていても肉の思いで見ることも、霊の思いで見ることもできるのです。肉の思いで見るのと、霊の思いで見るのと、どの点がどのように違うのかというこ

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