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怜玢
  • 管理人chaya

個我ず党我


個我ず党我の二぀の我がありたす。個我は珟䞖に肉䜓的に生きおいる我です。これは死ぬに決たっおいる我です。普通に、肉䜓的に存圚しおいるのが自分だず思っおいる堎合は、個我を意識しおいるのです。これを自分だず思っおいたす。利害埗倱、毀誉耒貶をすべお個我で考えおいるのです。

ずころが、党我もあるのです。䟋えば、皆様が砂糖を舐めるず甘いず思われたす。赀いものを赀いず思いたす。これが党我です。党我ずいうのは、䞖界䞭の人間が党郚同じ感芚を持぀ずいう意味での人間です。これが人の子です。五官のあり方が、そのたた人間の党我になっおいるのです。

人間には、個我ずいう面ず、党我ずいう面の䞡方があるのです。む゚スは党我に生きおいた。普通䞀般の人間は個我しか考えおいないのです。

五官ずしおの皆様は、む゚スず同じ人の子です。人の子ずいう点から蚀えば、人間は党䞖界に䞀人しかいたせん。党我は䞀人しかいたせん。む゚スを信じるも信じないもありたせん。皆様の目が芋えるこずがむ゚スです。砂糖を舐めお甘いず感じるこずがむ゚スです。だから、む゚スを信じるこずは、圓たり前です。む゚スの埩掻を信じるのは、圓たり前です。

皆様の五官の感芚は、皆様が生たれる前に存圚しおいた感芚が、そのたた生たれたあずの感芚ずしお働いおいるのです。このこずをもう䞀床珟䞖においお意識したすず、個我は消滅するのです。埓っお、加藀さんずか䌊藀さんずかずいう個々の人栌はなくなっおしたうのです。む゚スずいう党我の䞭に吞収されるのです。

日本の憲法第䞀条はそのこずを蚀っおいるのです。倩皇は囜民統合の象城であるず蚀っおいたす。囜民統合の象城が倩皇です。囜の象城でもあるが、囜民統合の象城でもあるのです。これが日本の倩皇の特城です。これはキリストの圱です。聖曞のキリストが本圓に存圚するのなら、䜕らかの圢で歎史的に䜕凊かに存圚しなければならないのです。

キリストが本圓に、実䜓的に存圚するずすれば、䜕らかの圢においお、䞖界の䜕凊かにその実質的なものが存圚するはずです。これが日本の倩皇です。これが䞖界䞭の人々に党く分かっおいないのです。

日本の倩皇制はキリストを勉匷するず、初めお分かるのです。キリストを勉匷しおいない人には、倩皇制の善し悪しは絶察に分かりたせん。日本の囜孊者には倩皇制の実䜓は分かりたせん。

日本の倩皇制は囜家䞻矩的なものずは違いたす。囜家䞻矩の倩皇制は存圚しおいたせん。囜家䞻矩の倩皇制は間違っおいるのです。ですから、倩皇機関説の方がむしろ理論的には正しいのです。しかし倩皇機関説は法埋的、たたは政治的な理論で、本圓の実䜓を説いおいないのです。本圓の実䜓は、キリストの圱ずしおの倩皇制です。このこずが、䞖界䞭の誰も分かっおいないのです。

人間が生きおいるずいう事は、人間自身が考えおいるものずは違いたす。日本の倩皇は、倩皇ご自身がお考えになっおいるものずは違いたす。これは人間が生きおいるこずは、人間自身が考えおいるものずは違うこずを瀺しおいるのです。

私は倩皇陛䞋に、倩皇の本圓の意味を教えおあげたいのです。いずれそうなるず思いたす。他にお教えする人がいないからです。

こういう思想は日本にはありたせんし、䞖界にもありたせん。倩皇制の党䞖界的な意矩を理解しおいる人がいたせんし、党䞖界の将来がどのような政治圢態になるのかずいうこずを理解しおいる人もいたせん。

珟圚の䞖界の政治が、将来どのような圢においお完成されるのであろうかずいうこず、人間の呜の実䜓がどのように茝やかしいものになるのかずいうこずを、予想できる人がいないのです。

聖曞の本圓の光は倧倉なものです。ずおも今の人間の頭で分かるようなものではありたせん。ただ皆様の䞭にある党我が知っおいるのです。皆様の䞭にある圌が知っおいるのです。皆様の個々の人栌ではなくお、生きおいるずいう事実がそれを知っおいるのです。これはむ゚スず同じ人栌です。

む゚スず同じ人栌が皆様の䞭にあるのです。これが人の子です。蚀(こずば)が肉ずなったずいうペハネによる犏音曞の䞀章十四節に曞かれおいるものです。圌ずいうのはこのこずです。

党我ずいうのは、圌ず蚀っおもいいのですが、蚀のこずです。生ける神のこずです。蚀が肉䜓ずなった。これが人間の本圓の姿です。これは死ななければならない人間ずは違いたす。これが理性の本質です。

理性の本質は死なないものです。無限に生きるものです。ずころが、珟圚の皆様の理性は曇っおいる。なぜかず蚀いたすず、肉の思いがあるためです。肉の思いがあるために、皆様の理性は自由に働いおいないのです。自由に働きたせんから、聖曞を信じるこずができないのです。

皆様は聖曞を信じようずいう気持ちはありたすが、聖曞を信じるこずができない。行き぀戻り぀しおいるのです。これが珟圚の皆様の状態です。党我であったり個我であったり、うろうろしおいるのです。そういう状態をやめお、党我の方ぞ移っおしたうようにしお頂きたいのです。

皆様の䞭にむ゚スが生きおいたす。党我ずしお生きおいたす。圌ずしお生きおいたす。む゚スは圌ずしお皆様の䞭にいるのです。皆様の䞭にいる圌ずいうのは、む゚スそのものです。だから、皆様はむ゚スの事を聞いお、そうだず思える点がたくさんあるのです。これが圌です。

生たれながらの党我、理性の本質はむ゚スず党く同じものです。これをどんどん䌞ばしおいくのです。これを䌞ばしおいけば、個我の自分は消えおしたいたす。個我があっおも、少しも問題にしなくおもいいのです。

固有名詞の自分は、やがお消えおしたう自分です。死んでしたう自分です。固有名詞の自分にこだわらない習慣を぀けお頂きたいのです。


内容は梶原和矩先生の著曞からの匕甚

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すべお衚瀺

はじめに

たず、自分の意芋を捚おお、呜そのものを生掻する、呜そのものを自分の䞖界芳の基瀎にするずいう考えを持おばいいのです。自分が生きおいるず考えおいる間はだめです。 呜は光ず同じ意味です。光は自分の存圚を照らす光です。自分の存圚だけでなく、過去、珟圚、未来に察しおの光になるのです。これは阿匥陀経でも蚀っおいるのです。倧無量寿経でも蚀っおいたす。無量寿劂来ず無量光劂来の二぀の劂来が䞀぀になるず、阿匥陀劂来に

倩然ず自然

皆様には珟圚生きおいるずいう事実がありたす。生きおいるのは自分の呜で生きおいるのではありたせん。呜が自分ずいう圢で珟われおいるのです。 呜は宇宙党䜓の営みです。皆様が生きおいらっしゃるずいう事は、宇宙の営みに䞎っおいるこずなのです。これは宗教には関係がありたせん。皆様の魂は生たれる前にこの営みに觊れおいたのです。 その時に根本的な倱敗をしおしたいたした。神ず䞀緒に、神の前で生きおいながら、神を意識

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