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  • 管理人chaya

永遠の進化


天地万物が造られたことと、人間が造られたこととが、どういう関係があるのかということです。創世は天地創造です。創人は人間が造られたことです。天地は何のために造られたのか。何のために人間が造られたのか。天地が造られたことによって、人間が造られたということは何のためだったのか。

女は最初に造られたのではなかったのです。男が霊的に行き詰まってしまった。男だけでは神が分からなくなって、茫然としてしまったのです。そこで男を深く眠らせて、男のハートと考えられるべきあばら骨を抜いて女にしたのです。

男は今、自分自身のハート、人格の真髄を持っていないのです。ハートを抜かれている男は、女性のあり方を勉強することによってでなければ、自分自身のハートのあり方を知ることはできないのです。

ところが、現在の社会は、女をまるで奴隷のように扱っています。男は偉いという間違えた考えを持っているのです。欧米人はレディーファーストと言って女性を尊んでいるように見えますけれど、これは女性を尊んでいるのではなくて、おだてているのです。女性を心から尊敬しているのではありません。日本人の場合はむしろはっきりしているのです。女性を尊重していないのです。

とにかく、女性の心髄は人間存在のハートです。女性は男から取られたのであって、男は人格の心髄を持っていないのです。女が男の中に帰る時に、男は自分自身が元の自分に帰れるのです。

そこで、端的な言い方をしますと、男は女を犯しているのです。肉の思いでセックスをすることは、女を犯しているのです。現在、男が女を犯すような事を神が許しています。なぜ許しているのかと言いますと、男が女を犯すことによって、自分自身が神に犯されるべきだということ、覚悟すべきだという事を意味しているからです。おまえの奥さんのように、おまえは犯されるべきだということを、神が言っているのです。

「二人の者は会いて一体となるべきだ」と聖書は上品に書いていますけれど(創世記2・24)、実体は妻を犯しているから、夫は神に犯されるべきだと言っているのです。日本の夫婦の悪い所ばかりを強調しているように思われるかもしれませんが、夫婦を霊的に見ればいいのです。

男が女を待遇していることは、神が男を待遇している状態になっているのです。そのために、神は現在の夫婦のあり方を、見てみないふりをしているのです。男は女を犯しているから、神に犯されることを覚悟しなさいと言っているのです。神の言うことを覚悟して聞きなさいと言っているのです。男は神の言うことを聞かなければならないのです。

皆様の存在の中に、霊魂の秘密が隠れているのです。初めからあった命が留まるように勉強して頂きたいのです。

天地が造られた時に、神は人性を造った。天地を造った時に、中心にするための人性を造ったのです。人間の霊魂は天地万物の主として、万物を神に代わって治めなければならない責任があるのです。神にかたどって、神のかたちのように、神が人を造った。これによって、すべての生物を治めさせると、神が言っているのです。

現在の人間は、生物を治めずに生物を殺しているのです。人間がしていることは無茶苦茶です。地球全体が人間に与えられたのではありません。万物を生かすために、管理能力を与えて、管理させようとしているのです。

ところが、人間は地球を管理せずに、食い荒らしているのです。地球を食い潰しているのです。人間が地球を荒らし回っている。毎年砂漠の面積が、どんどん広がっているのです。

やがて地球はだめになるでしょう。その責任は人間全体が取らなければいけないのです。特に男が取らなければいけないのです。聖書を勉強していない男が、その責任を取らされます。今の学者、政治家が、責任を取らされます。そうなってくるのです。

皆様には永遠の命を掴まえて頂きたい。永遠の命とは、万物を治めることができる命です。現在の物理的な地球は、霊理的な地球に変化するのです。地球は進化する。永遠に進化するのです。進化する過程において、人間自身の肉体も、神的に進化するのです。死んでしまう肉体ではなくて、死なない肉体、イエス・キリストが復活したのと同じ肉体に進化すべきものです。そうならなければならないのです。

聖書を勉強して、聖霊を本当に受ければ、皆様の肉体は、イエスの復活と同じものに同化してしまう可能性があるのです。これが、聖書が皆様に与えようとしている絶対です。

神が人間を造ったのは、そのように地球創造の大目的を、人間に遂行させるためです。万物の長として、神に代わって地球を管理することが、人間の責任です。皆様はそのために生まれてきたのであって、現世で生活するためではありません。

永遠の命はどこにあるか、何を学び何を否定したらいいのかを仕分ける能力を、皆様は十分に持っておられるのです。皆様の精神構造はイエスと同じものです。ですから、イエスを学ぶこと、イエスを信じることは十分にできるのです。

神が地を造った時に、天にいた人間を地上に降ろしたのです。天にいた人間というのは、地のちりである人間です。地のちりは大空という形になって天に置かれていたのです。大空は地に付属するちりの層です。地球に付属している空気の塵埃です。空気の塵埃が人間の原形です。これは神が地球を創造した時に、非常に大きい力になって働いていたのです。

もし地のちりがなかったら、地球は造られなかったでしょう。その時、地のちりは神と共に働いていたのです。その結果、地球が造られた。万物が造られた。地のちりが、現在の人間の原形を造っていたのです。

現在の文明の考え方は、あまりにもレベルが低すぎるのです。実は、天皇制は無限の命に関する永遠の栄光を、位という形で示しているのです。

今までの皆様は死ぬべき皆様です。今までの経験は死ぬべき人間の経験ですから、それに拘泥する必要はありません。今までの経験は、肉の経験として扱っていけばいいのです。

新しい霊の経験として、命のあり方を勉強すればいいのです。人間のあり方と、命そのもののあり方とは違います。四十年、五十年生きていたのは、人間として生きていたのです。命の勉強とは何かと言いますと、聖書を勉強することによって、聖書の中に入っていくことです。そうして、初めからあった命の言葉を心に留めることが、命の勉強になるのです。

皆様の命は初めからあった命です。固有名詞の人間とは違います。初めからあった命が、固有名詞の人間という格好になっているだけです。初めからあった命に目覚めますと、死んでいく自分とは全く関係がないことが分かるのです。

死んでいく自分と、初めからあった自分がはっきり分かります。初めからあった自分は、死んでいく人間と関係がないのですから、死なないのです。これがはっきり分かるのです。

柿の味は人間が造ったものではありません。太陽の働き、風の働き、雨などによって、天然のエネルギーが柿の実になっているのです。人間は柿を見たら、大体の味が分かるのです。これくらい熟しているから、これくらいの味がするだろうと想像できるのです。

天然という目に見えないもの、理屈では説明ができないものを、目は直感しているのです。これが人間にはおのずからなる霊の力があることを示しているのです。この能力をキリスト的能力というのです。これが万物を治める能力です。

地球ができる前からの天然の働きが、地球ができてから働いている。それが柿になって現われているのです。やがて今の地球は太陽に呑み込まれてしまうかもしれません。

ペテロは次のように言っています。

「しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々が裁かれ、滅ぼされるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。

しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼け崩れ、地とその上に造り出されたものも、皆焼きつくされるであろう」(ペテロの第二の手紙3 ・ 7、10)。

これが地球の運命です。やがて地球は太陽の大爆発の中へ呑み込まれてしまうでしょう。それでも、地球の力は太陽の中で、永遠に生きるでしょう。地球という形がなくなっても、地球のエネルギーはなくなりません。

人間の認識力、思考力、判断力、推理力は、電気エネルギーを精神的に翻訳したものです。知覚力というのは、知覚能力的エネルギーです。精神的エネルギーと物理的エネルギーによって、人間はできているのです。目の働きも耳の働きも、すべてエネルギーの働きです。

皆様の五官は永遠の命をはっきり知っているのです。だから、人間の常識で考えないで、皆様の命の本質を弁えて見ることをして頂きたい。これが聖書の勉強です。

男性は命の本質に基づいて女性を見ることです。これができたら、その人は死ななくなるのです。

聖書の勉強は理屈の勉強とは全く違います。人格の勉強です。命の勉強です。命の目を開く勉強です。人間の霊魂の勉強をしますと、まだ見ないこと、聞かないことが、どんどん分かるのです。永遠の運命が分かってくるのです。

皆様には復活の実体を掴まえる所まで、どうしても行って頂きたいのです。天国へ行きたいと思っている人は、絶対に行けません。ただ無条件で聖書を勉強していけば、勝手に天国へ行けるのです。


(内容は梶原和義先生の著書からの引用)

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