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                          五蘊皆空に学ぶ

 

 皆様が現在持っている常識、知識は生きている間しか通用しません。常識で生きている人には命のことが全然分からないのです。

 常識的に考えて生きているということが、死んでいるということになるのです。常識的に生きているということが、精神的に言えば、死んでいるということになるのです。

 学校教育は常識的に、知識的に考えることを奨励しているのです。これを現代文明というのです。

 明治以前の人間はそれほど悪くなかったのです。常識、知識を人間に押しつけることをしなかったのです。

 明治以後の政治は義務教育という考え方で、国家制度が人間の精神に教育を押し売りしているのです。これは薩長政治の根本的な間違いだったのです。未だにそれが分からないのです。

 皆様は明治政府に殺されてしまったのです。極端な言い方をすると、そうなるのです。

 学校教育が皆様の魂の本質を殺してしまったのです。人間の精神構造、精神状態で、特に理知的な面を協調すれば、情操的な面が死んでしまうのです。心ある教育者は今の教育が間違っているということを言っていますけれど、文部科学省にはそれが通用しないのです。

 学校で知識を広げることが国民のためになると思っているのです。学校教育は社会的に有能な人間を造るためにあるのです。有能な社会人を造るということは、人間の霊魂を殺してしまうことになるのです。

 皆様は私のいうことが分からないと言われます。般若心経と聖書の話を聞いても、見当がつかないと言われるでしょう。それは皆様の霊魂の状態が情操的な面を失ってしまって、理知的な面ばかりになってしまっているからです。皆様の精神構造が不自由になってしまっているのです。

 命が分からなくなっているのです。理知性の面、教育的な面ばかりが強調されたために、皆様は魂が全然分からなくなっているのです。

 私はこういう重大な間違いを訴えて、皆様に心の持ち方を転換して頂きたいと言っているのです。

 これは宗教の話ではありません。命の本当のあり方を学ぶことなのです。命は精神構造によってできるのです。精神構造さえまともに働いていたら、般若心経がいう五蘊皆空ということを理解することは、それほど難しくはないのです。

 明治以前の人々は、五蘊皆空ということを聞いても、それほど難しく思わなかったでしょう。現在の日本人は五蘊皆空という意味が全く分からないのです。政治のために、教育のために、皆様の霊魂が盲目にされてしまっているのです。これをよく考えて頂きたいのです。

 現在の政治、経済のあり方がどれほど悪いものかということを、冷静に考えて頂きたいのです。現在の白人主義の文明はユダヤ人を中心にしているのです。立憲政治はユダヤ人を中心にしているのです。

 学校教育という思想は、ユダヤ人を中心にして造られたのです。日本は世界で学校教育が非常に徹底している国の一つです。しかし、世界で霊魂が一番盲目になっているのは日本人です。

 学校教育を徹底すればするほど、人間の魂は盲目になってしまうのです。皆様の常識、知識は魂が全然分からなくなっているのです。肝心の命が全然分からなくなっているのです。

 命の本質は、本来死ぬものではないのです。生きているという事実を人間の情操的な目で真正面から見ていけば、五蘊皆空はそんなに難しいことではないのです。般若心経がちんぷんかんぷんで分からないというものではないのです。

 ところが、現在の日本人には般若心経はちんぷんかんぷんなものになっている。学校教育によって、皆様の頭が悪くなっているのです。

 このような政治、教育の欠点を微力ながら、力を尽くして私は訴えているのです。今の文明、政治、教育、宗教が間違っていることを訴えているのです。

 今の政治は人間の魂を殺していると叫びたいのです。このことを冷静に考えて頂きたいのです。

 精神の持ち方を変えれば、命がよく分かるのです。五蘊皆空、色即是空ということくらいは分かるのです。これが分かりさえすれば、皆様は自分の命がどういうものかが、少しくらいは分かってくるでしょう。

 皆様が現在社会的に生きている命は命ではありません。生命的に生きることが命です。社会的に生活することが命ではないのです。これは命の形なのです。命の本質は生命の本質を弁えて生きることなのです。

 人間の精神構造は理知性の面を強調した結果、情緒性が死んでいるのです。政治や教育は人間の情緒性を殺そうと考えているのではありませんが、現実の立場からどうしても生活のことだけを考えてしまうのです。

 皆様の頭はそうなってしまっているのです。現実主義になっているのです。

 ところが、現実は本当の命ではないのです。現実は現実感覚によって成立している意識世界です。現在の学校教育はそうならざるを得ないように仕向けられているのです。

 学校へ行けば行くほど、人間の魂は死んでしまうのです。魂が分からなくなってしまうのです。何のために生きているのかという目的がなくなってしまうのです。

 人間はただ現世で生活している。月給が多い方が良いとか、お金がたくさん儲かった方がいいとかということばかりを考えているのです。

 そこで、皆様の意識を転換することが必要です。生活することはもちろん必要です。生活をやめなさいと言っているのではないのです。

 五蘊皆空というのは、人間の意識構造は根本から間違っているということを言っているのです。人間の魂から申しますと、五蘊皆空は本質的に本当であると言っているのです。

 皆様は目で見ている物があると思っています。これを色蘊というのです。物がある。物質は存在すると考える。これが色蘊です。これが間違っているのです。

 間違っていると言われても、この見方をすぐにやめる訳にはいきません。できるだけそういう思想を捨ててしまうように考えるのです。情操的に、直感的に考えようとする素朴な思想に帰ろうとすることです。これが般若心経が皆様に言いたいところなのです。

 五蘊皆空というのは、人間の常識、知識の根底が間違っているということを言っているのです。常識、知識が間違っているままで生きていたら、必ず死んでしまうのです。

 皆様は死んだらどうなるのかが分からないでしょう。分からないということが、霊魂が分かっていない証拠です。命の本質が全く分かっていないのです。

 死んでからのことが分かっていないということが、皆様の霊魂の目が潰されていることを意味しているのです。霊魂の目が閉じられていることになるのです。

 霊魂の目を開くためには、心を転換しようと考えることが必要です。これは簡単にはできないことですが、これをしなければ必ず死んでしまうから申し上げているのです。霊魂の目を開くための勉強会がぜひ必要なのです。

 私は宗教に加入することを勧めているのではありません。皆様の長年の間違いを是正するためにこういう話をしているのです。

 まず皆様の精神構造を改めて頂きたい。そのためには、聖書を勉強しなければならないのです。キリスト教ではない聖書を勉強しなければならないのです。キリスト教ではない聖書とはっきり言っているのは、私たちだけです。世界中でも私たちだけです。

 キリスト教ではない聖書があるとはっきり言えるのは、私たちだけです。このキリスト教ではない聖書を勉強する必要があるのです。

 そのためには、まず皆様の常識を空じてしまうことです。常識を空じるという意味では、般若心経の思想が必要です。そうして、聖書を勉強するのです。

 聖書をなぜ学ばなければならないのかと言いますと、聖書があることと宇宙があることが、同じ意味になるのです。これについては、相当深い説明をしなければなりませんが、他の機会にしたいと思います。

 初めに、神が天地を造ったということが聖書の冒頭に書かれています。そうして、聖書の最後には現在の地球が消滅して、永遠不滅の完全な霊なる地球が誕生することを書いているのです。これが新天新地です。

 地球が始まって、そして、地球が無くなってしまうことが聖書の内容です。聖書があることが地球があることをそのまま証明しているのです。

 聖書は地球存在をそのまま文字に現わしたものです。これは宗教でも何でもないのです。聖書は神が神の立場から、地球がなぜ存在しているのかということを、率直に述べているのです。

 神はなぜ地球を造ったのか。地球はやがてどうなるのかということを書いているのが聖書です。従って、聖書があることと、地球があることは同じことなのです。

 キリスト教ではない聖書を勉強する以外には、本当の命を掴まえる方法はないのです。この勉強を皆様と一緒にしたいと思うのです。地球があるということについての勉強をすることです。

地球の中心になっている民族をユダヤ人と言います。このユダヤ人が間違っているのです。現代文明はユダヤ人が造ったのです。白人主義というのはユダヤ主義です。ユダヤ人が間違っているために、文明が人間の霊魂を殺してしまうような結果になっているのです。

 私たちは文明が間違っていることを、聖書を通して勉強しているのです。文明が間違っているということは、文明のあり方が根本的に間違っているということなのです。こういうことを勉強しているグループが日本にあるのです。だから、命について勉強したいと思う方は、私たちと一緒に学んで頂いたらいいのです。

 これ以外の方法では、本当の霊魂の勉強はできません。キリスト教ではない聖書を勉強することが、霊魂の勉強になるのであって、宗教ではない聖書の勉強をするのでなかったら、本当の命の勉強にはなりません。

 地球が実存することを勉強することは、私たちの本当の命の勉強になるのです。地球が存在することの勉強が必要です。これは宗教ではありません。こういうことを勉強してみようと思われる方は、霊魂の目が開かれるでしょう。

 皆様の魂は現世で生活するためにこの世に出てきたのではありません。永遠に生きるために皆様の魂はこの世に出てきたのですから、このことを真剣に考えて頂きたいのです。生活のことよりも魂のことを考えて頂きたい。まずそういう思想を持つことです。そういう勉強をしてみたいと思うことです。これが必要です。

 現在の学校教育に従事している人たちが、教育主義に固まっているために、人間の本質が無視されているということを言っているのです。

 教育をやめなさいと言っているのではありません。教育は必要です。現在の義務教育が人間の魂を無視するような感覚でなされていることが悪いと言っているのです。

 魂のこと、命の事が全く考えられないような状態で、教育、教育、試験、試験と言っているのです。私はその弊害を指摘しているのです。

 教育をしている人々が、人間の本質の問題と、教育の問題を両方取り上げて、宗教ではない般若心経という思想を踏まえているのなら、人間の霊魂が死なない命を見つけることはできるのです。

 人間の魂の状態と、政治、経済の状態の両方の面を弁えて指導することが、本当の教育です。これをするべきだと私は言っているのです。

 皆様は霊魂ということが分からなくなっている。五蘊皆空というのはどういうことなのかが、分からなくなっているのです。般若心経は数百年以前から日本にありましたが、その内容が全く分かっていない。分からなくなってしまったのです。

 なぜそうなったのかと言いますと、現代の学校教育が理知性一辺倒になってしまって、人間の魂を考えなくなってしまったからです。私はこういう教育の欠点を指摘しているのであって、教育をしなくてもいいと言っているのではないのです。

 教育は必要ですが、もっと優れた教育の仕方があるのです。教育に従事する人々が、人間の霊魂の本質を弁えて、教育したらいいのです。

 現世に生きている間だけが人間の命ではないのです。人間には来世があるのです。知っても知らなくても、人間の命は良い状態においても、悪い状態においても、来世は必ずあるのです。

 昨日と明日があって、今日という日が成り立っているのです。昨日と明日がなかったら、今日は成り立たないのです。そのように、現世というものは、前世と来世とによって成り立っているのです。

 過去、現在、未来という三つの時点によって時間が成り立っているのですから、こういう考え方を教育者がはっきり持っていたら、人間の命は自然に分かるのです。こういうことを学校で考えていないということが悪いのです。

 教育が悪いのではなくて、学校教育のやり方が悪いのです。小学校、中学校の指導の仕方が悪いのです。教育そのものは必要であるに決まっているのですが、教育の仕方が悪いと言っているのです。人間の本質をよく弁えて、教育しなさいと言っているのです。

 人間の本質をよく弁えないで、教育を押しつけている。これがユダヤ主義の文明です。これが間違っているのです。日本人が間違っているのではない、ユダヤ主義が間違っているのです。

 教育のために、日本人は霊魂のことが全く考えられなくなっているということを言いたいのです。教育の欠点が今の人間にはっきり現われているのです。これを申し上げたいのです。

 人間の霊魂は死ぬべきものではないのです。ところが、死ななければならない状態になっている。ここに教育の大きな責任があるのです。

 私は般若心経や聖書を学校で教えなさいと言っているのではありません。教育者はそういう心得を持っていなければ、教育者という資格はないと言うことを申し上げたいのです。

 人間の命をよく弁えた人が教育をするべきなのです。これを申し上げているのであって、生活を否定しているのではありません。生活することは必要ですが、生活だけをしていても必ず死ぬだけです。

 死んだらどうなるのでしょうか。皆様は今のままでは必ず死んでしまいます。死ぬというのは必ずやってくる運命ですが、死んだらどうなるのかということを、真面目に考えなければいけないのです。これが真面目に生きるということです。

 こういう考え方を正しい情操というのです。理知性だけでなくて、理知と情操のバランスがとれるような考え方をして、生活すべきなのです。

 霊魂のことが全く分からないというような状態、五蘊皆空と言われるとさっぱり分からないという状態では、死んだら困るのです。これをよく考えて頂きたいのです。

 常識だけで生きていたら、必ず死んでしまいます。死んでからでも人間の魂は消えてしまわないのです。霊魂は消えてしまう訳ではない。そこで、怖いことになるのです。ですから、この世を去っても霊魂に責任を持たなければならないのです。

 現代文明では自分の霊魂の責任ということを、全く考えようとしないのです。この文明の考え方が間違っているのです。これがユダヤ主義、白人主義の正体です。私はこういう考え方が根本から間違っていると言っているのです。

 般若心経だけでは本当の命は分かりません。また、聖書だけでは難しすぎるのです。般若心経には人間が発生した原理が全然分からないのです。また、人間が将来どうなるのか、死んでからどうなるのかということを、一切説いていないのです。

 現世が五蘊皆空だということだけを克明に説いているのです。般若心経は現世のことだけしか説いていないのです。

 般若心経によれば、現世が空だということはよく分かります。なぜ現世が空なのか。空である現世がなぜ存在しているのかという説明が、般若心経には一切ありません。聖書を勉強しないとこれが分からないのです。

 聖書には「人間は神から命の息を吹き込まれた」と書いています(創世記2・7)。神から命の息を吹き込まれた人間が、どうして実存状態であるのかということです。このことについては聖書に説明されているのです。

 般若心経は現世の人間生活の理念が、五蘊皆空であると書いています。これは聖書に書かれているけれども、はっきりしない点があるのです。

 聖書には命についての説明がたくさんありすぎるために、空という面の説明が少なすぎるのです。なぜ人間の生活が空なのかというような説明になりますと、般若心経の論理がどうしても必要になるのです。そこで、仏教ではない般若心経と、キリスト教ではない聖書の両方がどうしてもいるのです。

 般若心経と聖書の二つを合わせますと、宗教ではない命が見えてくるのです。般若心経と聖書を一つにして勉強しますと、宗教であると言っても、宗教ではないと言っても同じことになるのです。つまり、宗教ではなくなるのです。だから、宗教ではないといちいち言わなくてもいいことになるのです。

 皆様は命を真面目に考える必要があるのです。皆様の命は自分のものではありません。自分が生きているのではありません。自分の命はないのです。命が自分の所に来ているのです。そうして、自分が生かされているのです。

 自分が命を経験させられているのであって、自分が生きているのではないのです。正反対になるのです。

 もう一度言いますと、自分が生きているのではありません。命が自分の所にやって来ているのです。命を経験させられているのです。

 命をなぜ経験させられているのかと言いますと、宇宙にたった一つの尊い命ですから、生きていることを経験することによって、命の本質を弁えるためです。そうして、この世を去ってから、この命はどうなるのかということを勉強するために、命を経験しているのです。

 命が肉体的に働いていますけれど、やがて肉体から離れるに決まっているのです。肉体から離れると、命はどうなるのか。

 命の本質に従って、命を正しく経験していた人は、永遠に命の経験ができるのです。肉体は命の入れ物ですから、やがてだめになります。そういう状態になってからでも、命を正しく経験していたら、その経験が生きてくるのです。

 自分が生活しているのではなくて、命そのものがその人を生かしているのです。そうすると、心臓が止まってからでもその人の命はあるのです。この状態をとこしえの命というのです。

 経験しているのは自分の命ではなくて、神の命です。皆様が命を経験している、生きていることが神の実物を命として経験していることです。

 命というのは神のことです。神の実体のことです。神の実質が命です。誤魔化さなくてもいいのです。生きていることが神です。自分が神ではありません。生きているその命が神なのです。

 自分の命の尊さをよくよく弁えることができた人は、心臓が止まってからでも命の中へ入り込んでいくことができるのです。これをとこしえの命というのです。これを皆様に学んで頂きたいのです。

 これは宗教の話ではありません。命の本質を弁えることです。イエス・キリストの復活というのはこのことです。イエス・キリストが死人の中から甦ったというのは、イエス・キリストが命を正しく弁えていたのです。そこで、イエスは十字架につけられて死んでしまったけれど、甦ったのです。

 甦りの命というのは、今皆様が生きている命とは違います。別の命です。別の命を経験するためには、現世に自分が生きているという間違った考えを脱ぎ捨ててしまう必要があります。

 現世に自分が生きているのではない。自分の魂が神を経験しているのです。自分の霊魂が神の実物を経験しているのです。このことを皆様と一緒に勉強したいと思っているのです。

 皆様が生きているということは神です。生きていることが神ですから、皆様が真面目になれば、死ぬはずがないのです。そして、生きていることが神であるという事実を、皆様が認識したらいいのです。

 今までの常識を捨てて、自分の霊魂の眼を開くのです。霊魂の眼を開いて、本当の命を認識するような生き方を勉強して頂きたいのです。

 現在、皆様は生きているという形で、神の実物を経験しているのですから、これは勉強するつもりさえあれば、誰でもできるのです。自分自身を空じてしまうという真面目な気持ちさえあれば、皆様は神と一緒に生きていけるのです。これを実行して下さい。私が実行していますから、皆様も実行できるのです。

 どうぞ勇気を持って、命を勉強して頂きたいのです。死んではいけません。今生きているのが神です。自分が生きているのではありません。神が自分という格好で生きているのです。これをインマヌエルの神と言います。

 神が皆様と一緒にいるのです。こういう状態で生きているということをイエスというのです。イエスとして生きることがキリストです。

 皆様は自分が生きているということにおいて、本当の神の実験をしているのだと考えて、自分という自我意識を整理してしまうのです。自我意識がない自分を発見するのです。そうすると、五蘊皆空がよく分かるのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)

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