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                              悪夢

 

 般若心経を正確に勉強すると、人間はいないことになるのです。だから、欲も得もないのです。日本人が今まで考えてきた道徳とか宗教とか科学は全部間違っていることになるのです。欲もないし得もないのです。だから、人間がいないということを勉強しなければならないのです。これが本当の勉強です。

 皆さんという人間もいないし、私という人間もいない。これが本当です。自分がいないのはもちろんのことです。人間もいないのです。これが分かったらいいのです。

 皆様が生きていることはあります。これは人間とは違います。自分が生きているのではありません。生きているという事がらが自分という格好になっているのです。だから、自分がいるのでもないし、欲も得もない。これは単なる誤解です。

 人間は自分の欲や得のことばかり考えている。こういうことを考えて何になるのでしょうか。人間がいて何になるのでしょうか。

 皆様は般若心経や聖書を勉強しているつもりでしょうが、全然読んでいないのです。勉強していないのです。

 自分が生きていると考えることほどばかなことはありません。自分が生きていると考えるから、くよくよ、くよくよと考えるのです。

 自分ほど不幸な者はいないと考えるのです。いわゆるマスターベーションをしているのです。これが自惚れです。うぬに惚れて、うぬの気持ちを信じているのです。そうして、喜んだり、悲しんだり、死んだりしているのです。

 皆さんはいい加減に自分が生きているという思いに愛想をつかして頂きたいのです。般若心経を毎日、五、六回読むことを一年続けてみて下さい。般若心経を一日五、六回読んでいると、人間はいないことが少しくらいは分かるでしょう。

 少し分かったらそれを思い続けるのです。そうすると、人間が生きていないことがよく分かります。自分が生きていないだけではない。人間もいないのです。

 般若心経は自分はもちろんいないと言っています。人間もいないと言っているのです。よく考えてみて下さい。人間の文明があって何になるのでしょうか。日本という国があって何になるのでしょうか。世界の歴史が存在していて何になるのでしょうか。何にもならないのです。

 政治とか経済、教育、法律、宗教があって何になるのでしょうか。般若心経は一切空と言っているのです。五蘊皆空、色即是空と言っているのです。

 皆様は生きていて何になるのでしょうか。人間社会があって何になるのでしょうか。アメリカという国、日本という国があって何になるのでしょうか。人間の歴史がこの地球上に存在することが何になるのでしょうか。

 人間は生きていて何になるのでしょうか。何とかなると思っているでしょう。だから、生きているのでしょう。般若心経から言えば、皆様が生きていることが五蘊皆空になるのです。

 皆様が生きていることが五蘊皆空です。無眼界乃至無意識界とはっきり言っているのです。目で見ている世界もないし、心で意識している世界もないと言っているのです。そうすると、なぜ人間がいるのか。なぜ現在の地球があるのかということになるのです。

 だから、聖書を信じるしかないのです。人間は聖書がなければ何にも分からないのです。

 人間が生きているのは夢みたいなものです。こう思える人は一番上等です。生きていることが夢なら、悔やむこともないし、悲しむこともないのです。焼きもちをやくこともないのです。

 これが一番上等な生き方です。ただ問題は夢みたいということは結構ですが、何のために夢を見ているのかということです。

 人生が夢であるとしても、非常に質が悪い夢を見ているのです。悪夢に脅かされているのです。人間が見ている夢は悩んだり、苦しんだり、悲しんだり、憎んだりすることばかりです。質が悪い夢です。

 こういう質が悪い夢をなぜ見ているのかということです。人間は夢の中から何か答を引き出さなければならないことになるのです。とにかく夢を見ているにしても、真面目に生きているにしても、生きているということがあるのです。ご飯を食べているのです。人に迷惑をかけているのです。

 人間は生きていたら、必ず人に迷惑をかけるのです。なぜそういうことをしているのかということです。これを勉強しなければならない責任があるのです。生きていて人に迷惑をかけていることについて、答を出さなければならないのです。

 人間は自分がやりたいことをしてもいいと思っているでしょう。これを思い上がりというのです。これは自惚れであって、うぬにうぬが惚れているのです。これは人間だけがするのです。犬や猫は自惚れをしませんが、人間は自惚れをするのです。

 うぬに惚れるというのは全くの夢幻の世界です。こういうことを人間はしているのです。それは自分が生きていると思っているからです。

 ところが、自分が生きているということは嘘です。自分が勝手にそう思っているだけです。

 自分が生きていると思っているその気持ちは、自分にしか通用しません。他人には一切通用しません。自分以外の人、例えば、夫婦でも、親子でも、兄弟でも、一切通用しません。

 人間は自分しか通用しない気持ちを真面目に考えているのです。自分しか通用しないという気持ちは嘘です。本当の生き方というのは、他人にも分かってもらえるような生き方でなければならないのです。こういう原理に従って生きているかどうかが問題です。

 夢幻で生きているというのはけっこうですが、なぜ夢幻の世界が人間にあるのかということを勉強しなければならない責任があるのです。

 人間は米食い虫です。人に迷惑をかけているのです。人に迷惑をかけているという責任を、どのように果たすかです。これを考えて頂きたいのです。

 パウロは今の人間の状態を、死人を生かしていると言っています。これを英訳では、giveth life to the deadとなります。これは死人に生活を与えているという意味になるのです。神は死んでいる者に命を与えるとも訳せるのです。

 神はなぜ死んでいる者に命を与えているのかということです。死んでいる者は放っておいたらいいのですが、命を与えるという形を取っているのです。

 この世に何百億という人間が生まれたのですが、この中からごく少数の者だけが命の真髄に気がつくのです。自分が生きているのではない。固有名詞の人間が生きているのではない。命を与えられたという事がらが生きているのです。ごくわずかの人間がこれに気がつくでしょう。これを神が狙っているのです。

 神はなぜこの世を造ったのかと言いますと、エデンの園で人間が死んでしまったからです。この点が仏教では全然分かっていないのです。他の宗教も全く分かっていないのです。

 人間が死んでしまったから神は現世を造ったのです。現世はエデンの東であって、これは罪人のいる所という意味です。

 罪人とは神に対して罪を犯した者という意味です。神に対して罪を犯したということは、自分が生きていると考えることです。これが罪を犯していることになるのです。

 人間は自分が生きていると思うから、自分の立場から利害得失を考えるのです。善悪を考えるのです。

 神は、「あなたは園のどの木からも心のままに取って食べてもよろしい。しかし、善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」と言われたのです(創世記2・16、17)。

 ところが、アダムは善悪を知る木の実を取って食べたのです。そこで、死んでしまったのです。

 善悪を知る木の実を食べるというのは、自分の立場から善悪を判断することです。アダムはこれをしたのです。

 皆様は毎日それをしているのです。毎日、自分の立場から善悪利害を判断しているのです。これを死んでいると言っているのです。

 人の悪口を言ったり、自分を卑下してみたり、得だ損だと勝手に言っているのです。とにかく、人間は善悪利害を考えたら、その人は死んでいるのです。自分を意識しているからです。

 神はそういう人間ばかりが住める世界を造ったのです。現象的な地球は死んでいる人間ばかりが住んでいるのです。これがエデンの東です。

 現象的な地球には死人ばかりが集まっているのです。地球にいる人間は全員本質的に死んでいるのです。私自身も死んでいるのです。私は死ぬことをやめて、生き始めて命を掴まえたのです。そこで、私は自分が生きているという世界から出てしまったのです。

 私は自分の利害得失を考えません。こんなことはどうでもいいのです。皆様が私の考え方に賛成しようが反対しようが、どちらでもいのです。私は死んでいるからです。

 今の地球は死人ばかりが集まっている世界です。地球に生きていることが死んでいることなのです。聖書はこのように断定しているのです。

 神は死人をあたかも生きているかのように生かしているのです。今、皆様が生きていることは死人を意味するのです。

 今の人間は必ず死にます。肉体を持っている人間は必ず死ぬのです。私が言わなくても、皆様は死ぬに決まっています。死ぬに決まっている命を自分の命だと思っているのです。これは皆様が既に死んでいる証拠です。

 皆様は死ぬに決まっている自分がいると思っている。これは皆様が死んでいる証拠なのです。

 皆様はこれから死ぬのではありません。既に、死んでしまっているのです。だから、皆様は死んでからどうなるのかを考える必要はないのです。現在も死んでいるから死んでからということは考えなくてもいいのです。

 そこで、皆様は命は何処にあるのか、生きるためにはどうするのかを考えて頂きたいのです。

 ところが、宗教はこの正反対のことを言っているのです。死んでから天国へ行くとか、死んでから仏国浄土へ行くというのです。ばかなことを言うなと言いたい。これは大嘘です。

 親鸞は非常に厳しい見方をした人です。最初は仏国浄土へ行くと考えていたのですが、これが嘘であることが分かったのです。そこで、宗教を捨ててしまったのです。真宗教団から離れて、都へ帰って乞食をしたのです。

 六十三歳から九十歳までの間、親鸞は乞食をしていたのです。自分が極楽参りをしようと思うことが、間違っているのです。親鸞はこれに気がついたのです。

 現在、生きている人間は死ぬに決まっている自分です。死ぬに決まっているということは、既に死んでいるということになるのです。まずこれを承知して頂きたいのです。

 死んでからどうなるのかを考えなくてもいい。命が何処にあるのかを考えたらいいのです。

 何回も言いますが、現世に生きている人間は全員死んでいるのです。宗教や道徳、学問は全員死んだ人間が考えたものです。死んでいる人間の思想です。

 日本人は死んでからどうなるのかをあまり考えないのです。ここに天皇制の不思議な効用があるのです。日本の国体はどのようなものかということです。

 日本は国柄そのものが普通の国とは違うのです。これをよく考えて頂きたいのです。

 現世にいる人間は全員死んでいるのです。ところが、日本には天皇制という他国にはない政体があるのです。他国にはない国柄があるのですが、日本人にはその意味が分からないのです。天皇制の意味が全く分からないのです。分からないのですが、何となく頼っているのです。この感覚があるために、地獄が分からないのです。

 地獄があるのが良いのか悪いのか、分からないのです。日本人には良い点もあるが、悪い点もあるのです。日本人は国柄が良すぎるために、非常に楽天的に物事を考えるのです。これが八百万の神々の伝統を造っているのです。これは全く愚かな習性です。

 そこで、死んだら神様よというばかな考えを持っているのです。今までの日本人は何も知らないのです。現世に生きている人間は既に死んでいるということが分からないのです。だから、死んでからどうなるのかを考えなくてもいいのです。

 命が何処にあるのかを考えたらいいのです。今の皆様の生活は死んでいる生活です。死ぬに決まっている生活をしているからです。そこで、命は何処にあるのか、本当の命を掴まえるためにはどうしたらいいのかを考えたらいいのです。このためにまず、般若心経を学ぶ必要があるのです。

 五蘊皆空、色即是空、究竟涅槃が命を見つけるための第一原則です。日本人にとっては、般若心経を学ぶことが、命を見つける第一原則となるのです。

 死んでからどうなるのかということとは違うのです。損とか得とかを考えることは、死んでいる証拠です。死んでいるから欲も得もないのです。何のために生きているのかが分からない人間に欲も得もないのです。

 命は何処にあるのか。命を掴まえるためにどうしたらいいのかということを考えたらいいのです。損をしたとか、得をしたと考えることをやめるのです。

 パウロは、「アブラハムは無から有を呼び出される神を信じた」と言っています(ローマ人への手紙4・17)。

 神は無をあたかも有のように存在させているのです。本当は現象は無です。無ですが、有るような形を見せているのです。

 神は死人を生かし、無をあたかも有るように見せているのですが、これを般若心経ははっきり喝破しているのです。これがアブラハムの信仰の原則ですが、これを般若心経ははっきり書いているのです。

 般若心経がまともに分からない人は、自分の命をまともに考える力がない人ですから、地獄へ行くしかないのです。

 般若心経をまともに考えることができない人はできるだけ早く死んだほうがいいのです。なぜかと言いますと、一ヶ月でも二ヶ月でも長く生きているだけ罪を犯すに決まっているからです。長く生きていればいるだけ、人の悪口を言うでしょう。人を憎むでしょう。だから、できるだけ早く死んだほうがいいのです。そうすれば、地獄の刑罰が少しでも軽くなるからです。

 こんなことは宗教家は絶対に言わないでしょう。しかし、命の実体を正確に掴まえたら、こういう言い方ができるのです。

 日本人は本当の般若心経、本当の聖書が分からないのです。現在生きている人間は既に死んでいるのです。そこで、命を見つけようとしたらいいのです。

 現在、皆様が生きているのは、命の水源地があるからです。命の水源地から命を供給されているから、皆様は生きているのです。そこで、命の水源地と今の皆様とどのように接着するのかを考えて頂いたらいいのです。私はそのためのボランティアをしようと思っているのです。

 まず自分が死んでいるということを自覚して頂きたいのです。自覚できない人は残念ながら、縁がない人だと言わなければならないのです。真剣に命を見つけたいという人だけに話をしたいと思うのです。

 現世は死んでいる人間ばかりが集まっているのです。また、無いものが有るように見せられているのです。地球はあるはずがないものです。地球とは何か。

悪魔という天使長がイマジネーションを持っているのです。悪魔は時間、空間を司っている天使長です。時間、空間という不思議なものがあるのです。悪魔は次元を司る天使長です。

 この宇宙にはいろいろな次元があります。肉体も次元です。精神も次元です。次元にはいろいろありますが、次元は天使が司っているのです。この次元を司る天使の親方を天使長というのです。これが悪魔になったのです。

 悪魔が現象世界があることを認めてしまったのです。認めてしまったために、イマジネーションができたのです。宇宙構造の中に、非常に大きいイマジネーションができたのです。このイマジネーションが自我意識という状態で人間の中に入り込んでいるのです。

 だから、物質がある。物質的現象があると人間は考えてしまったのです。これが物心です。物が存在するという考え方です。これが人間の中に入り込んだのです。

 イマジネーションは嘘です。嘘だということがはっきり分かりますと、宇宙の命の中へ入っていくことができるのです。

 人間がいないということはどういうことなのか。皆様は自分がいる、人間がいるという前提に立って考えています。だから、私の言うことが難解な哲学的な原理のように思えるのです。

 人間がいないということは非常に簡単に分かることです。例えば、現在の世界の文明があって、何になるのかということです。これを考えたらいいのです。何にもならないのです。

 文明には目的が一切ありません。学問にも目的が全くないのです。例えば、科学にも目的がありません。人間の生活をできるだけ便利にしようという目的はありますが、人間の生活を便利にしてどうなるのか。もう分からないのです。

 人間の生活目的、存在目的がはっきりしないままの状態で、科学がいくら発展したところで、何にもならないのです。私は科学が無用だと言っているのではありません。科学は科学として非常に大きい意味を持っているのです。

 ところが、科学が何をしようとしているのかということを科学者は考えようとしていないのです。科学だけでなくて、哲学でも、政治でも、経済でも、現在、大学で教えている学問は目的を持っていないのです。文明にも目的がありませんから、学問が目的を持っていないのは当たり前のことです。

 驚くべきことですが、文明自身が目的を持っていないのです。これは一人ひとりの人間が目的を持っていないからそういうことになるのです。

 一人ひとりの人間が自分自身の目的を持っていないのです。アメリカの大統領は自分の目的を持っていないのです。アメリカの大統領として政治をすることが、自分の目的のように考えているだけです。これは人生目的、人生の理想とは違うのです。

 皆様一人ひとりに、現在の目的はあるのでしょうか。来年はこういう仕事をしてみたいという目的はあるでしょう。そういう近視眼的な目的ではなくて、生きていることの目的です。全世界の人間が一人もその目的を持っていないのです。

 目的がない人間ばかりが集まって現在の文明ができているのです。そこで、文明も目的を持っていないことになるのです。だから、人間が地上に生きていても、何にもならないのです。人間存在の真実という点から考えますと、何にもならないのです。

 人間は生きています。しかし、何のために生きているのかという問いに対して返事ができないのです。これが人間が生きていないということの最も簡明な証拠になるのです。

 人間が目的を持っていないということは、宇宙がこれを認めていないということです。もし宇宙が現在の人間を認めているとしたら、人間に目的がないというばかなことがあり得る道理がないのです。ところが、現実の人間は法律的にも、哲学的にも、科学的にも、政治的にも、人間社会が繁栄する目的が全くないのです。

 日本という国は国家目的を持っていないのです。国も人間も世界全体も、目的を持っていないということは、そういう人間は存在していないということになるのです。

 人間は大変な考え違いをしているのです。自分がいるのではなくて、生きているということがあるのです。これがリビングです。ザ・リビングがあるのですが、これが大変大きいものなのです。

 人間はザ・リビングに目を向けようとしていないのです。目的を持たない人間が生きているということが、宇宙が人間存在を認めていないということの明瞭な証拠になるのです。

 人間は生きている目的がありません。文明が存在する目的もありません。学問に目的もないのです。しかし、現世に生きていたければ生きていてもいいでしょう。現世が滅びる時に皆様も滅びるのです。

 現在の人間は最初から死んでいるのです。死んでいる人間が地球という住み処に巣くっているだけのことです。命のことを考えない生物がいるだけのことです。

 人間は精神構造という恐ろしいものを持っているのです。人間という動物がいるのではない。人間は生物です。しかし、人間の中にある精神構造と人格構造は驚くべきものなのです。これが人間という格好で顔を出しているのです。このことが分かれば、大変な世界が分かってくるのです。

 私が言うことが難しいと考えることが間違っているのです。皆様が今までの人間の常識にこだわっているから難しいと思うだけのことです。

 皆様の常識は死んだ人間の考え方なのです。または、死ぬに決まっている人間の考え方なのです。学問という学問、常識という常識は一切死んだ人間が残しておいた考え方です。

 死んだ人間の常識、死んだ人間の理屈が今の人間の知識、常識という格好で残っているだけなのです。皆様はこれを勉強してきたのです。これが学校教育のやり方です。

 皆様は死んだ人間が残した思想を呑み込んだだけです。科学も哲学も法律も、死んだ人間が言い残したことです。これを皆様は勉強してきたのです。これで命が分かると思われるのでしょうか。

 今の文明は死人の文明です。現在の社会は死者の社会です。

 ノーベル賞をもらった人間も全員死んでしまうのです。また、死んでしまったのです。

 死んだ人間が造った学問は、現世の人間の生活の役には立ちます。しかし、現代の人間の社会生活が目的を持っていないのです。これをよく考えて頂きたいのです。

 人間は自分の精神をよく知らないのです。自分の人格を知らないのです。人格とは何であるのか。精神とは何であるのか。これをよく知らないのです。

 皆様の理性や良心は、永遠の理想を求めているのです。皆様の精神構造、人格構造は永遠の理想を求めているのです。

 人間としての皆様は永遠の理想を全く考えないのです。目の前の利害得失だけを考えているのです。

 皆様は精神構造や人格構造を裏切っているのです。こういうことをよく考えて頂きたいのです。皆様は厳しく考えることをしないので、こういう悪い習慣が身についているのです。

 皆様は人間の常識と妥協している。人間の知識と妥協しているのです。自分の生活と妥協しているのです。人間の伝統と妥協しているのです。そうして、現世で得をしようと考えているのです。こういう妄念を捨てるのです。

 生きていて何になるのでしょうか。自分という人間がいると考えることが間違っているのです。人間が間違っているのではありません。人間がいるという考えが間違っているのです。

 人間がいるのではなくて人格がいるのです。精神構造があるのです。人間という膨大な精神構造があるのです。これが宇宙存在の将来に対して、宇宙を完成するための驚くべきエネルギーになるのです。私はこれをお話ししているのです。

 宇宙と地球はすばらしい状態で完成されなければならないのです。宇宙完成、地球完成のために、皆様が協力しようという誠意があるかどうかということです。

 自分のことを考える必要はないのです。初めから自分はいないからです。

 皆様は地球の完成のために、一肌脱いでみようという気持ちがないのでしょうか。ないのならできるだけ早く死んだほうがいいのです。人生の理想を持たないような人間、命について理想を考えない人間、本当の命を見つけようとしない人間は、生きていてもしようがないのです。早く死んだほうがいいのです。

 女は何を求めているのか。この世の男とは違います。地球完成のために一肌脱いでやろうという魂を、女は求めているのです。これが本当の王子様です。

 女は求めているけれど、目の付け所が悪いのです。親切にしてくれる人をいい人として歓迎するのです。これが悪いのです。自分という個人的な人間に親切でもだめです。そんな男に騙されたらだめです。

 地球を完成するために一肌脱ごうとした男、ナザレのイエスが本当の男です。こういう人こそ、人間の見本にする値打ちがあるのです。

 永遠が人間の魂の理想です。皆様の精神構造の本当の理性は永遠であって、現在の生活とは違うのです。

 私は日本の国をよくしようということを考えていません。日本という国はあってもなくてもどうでもいいのです。もし日本が地球を完成するために役立つなら、日本があることはいいことです。

 ところが、現在の日本はあってもしょうがないのです。日本は明治時代に富国強兵ということをしきりに言ったのです。これは薩長の人々が言ったのです。こういう国はあってもなくてもどうでもいいのです。

 とにかく、理想は地球が完成することです。現在の地球には地震があります。洪水、津波、台風、旱魃があるのです。伝染病、病気があるのです。人間がどんどん死んでいくのです。こんな地球を認めることが間違っているのです。

 命のことを真面目に考えようとしない人、人生の理想、歴史の理想を考えない人は、生きていてもしようがないのです。こういう人間は死んだら地獄へ行くに決まっているのです。このことをよく考えて頂きたいのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)

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