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​魂の審判

                             魂の審判

 

 死ぬとはどういうことか。へブル人への手紙の九章三十七節で、一度死ぬことと、死んだ後に裁きを受けることは、人間に定まっていると書いています。死ぬだけならまだいいのですが、裁きがあるのです。

 肉体は消耗品ですから、死ななければならないことは仕方がないのですが、死んだ後に裁きを受けるのはなぜか。裁きを受けるというのは、霊魂の裁きを受けることですが、なぜ審判されなければならないかということです。

 審判はいつ行われるのか。魂の審判は人間の歴史が終わった後に行われるのです。地球の歴史が終わった後に、神によって直接人間の霊魂の裁きが行われます。それまで裁きは行われません。

 現世を去った後に人間は待合所に入れられるのです。これが黄泉(よみ)です。しばらく黄泉で眠っていますが、人間の歴史が全部終わり、人間として生きるべき人々が死んでしまいますと、改めてすべての人間を全部甦らせて裁きを行うのです。甦らせておいて死ぬことができない人間にする。死ぬことができない人間にしておいて審判を行うことを、ヨハネの黙示録にはっきり書いてあります。これが霊魂の審判です。

 霊魂の審判とは何か。人間が死ななければならないことが分かっていながら、死について真面目に考えなかったということに対して、神が人間の霊魂を徹底的に裁くことです。これが裁かれる一番大きい原因です。

 皆様は死ぬことが分かっています。分かっているどころか人間は死ぬために生きているようなものです。死ぬべくして生きているからです。

 現在の人間は死ぬために生きているのです。死という一点に向かって歩んでいることが生きていることです。そのような生き方を人間は強制させられている。

 ところが、それに対して恐れもせず、わななきもせず、死ななければならないことに対して知らん顔をしている。これが神に逆らっていることです。神をばかにしている面構えです。

 神が人間を裁かなければならない原因は、神が人間に死を与えているのに何も考えていない。けろっとしているからです。神をばかにしているからです。神を虚仮にしているのです。神を虚仮にしている状態が、人間の霊魂をいやでも裁かなければならないことになるのです。

 死という問題を真面目に真剣に考えないようとしないことが、人間の最も悪いところです。ほとんどの人は死を嫌がっているはずです。ところが、死とは何かと考えようとしない。これがいけないのです。

 どうしたら死から逃れることができるのか。日本国憲法に天皇は日本国民の統合の象徴であるという、不思議な言葉があるのです。国民を統合するとはどういうことか。国民を統合することによって死を免れることができる。これが日本の憲法の大眼目です。

 国民の一人ひとりが人格的に統合することによって、死が消えるのです。国民統合という非常に大きい意味がここにあるのです。これを日本の憲法第一条でうたっているのです。本当の統合という言葉の意味が分からないのに、国民統合の象徴は天皇であるという言い方をしているのです。これは誠に不思議千万な文字です。こういう憲法が日本で政治的に通用しているのです。

 国民統合という言葉をもう一歩進めると、人格の統合になるのです。人格が統合することによって人間は死ななくなる。これが死を免れる唯一の方法です。

 これを聖書では「イエスが主である」と言っています。イエスが主であるということは、人間の人格が統一されることを意味するのです。そういうことが、日本の憲法では政治的に知らされている。霊魂の真理として、それが聖書によってうたわれているのです。こういう関係があることをよく承知して頂きたいのです。

 新約聖書にジーザス・アズ・ロード(Jesus as Lord)という言葉があります。アズ・ロードが人格的に統合されることになる。これが新約聖書の原点、原理です。

 だいたい世界七十三億の個々の人間がいることが、無意味です。日本人は一億二千万人いますが、それが無意味です。なぜなら固有名詞の人間は全部死んでしまうからです。

 死んでしまう人間が死なない人間になるためには、アズ・ロード以外の方法はありません。私はこれを人格の統合と言っているのです。

 前世において、人祖アダムが神から絶対に食べてはけないという善悪を知る木の実を食べて死んでしまった(創世記3・1~7)。死んだ人を無数に粉砕した。これが原罪人間です。粉砕されている欠陥人間です。どうにもならない欠陥人間になってしまったので、地球に追放したのです。

 自分がいる。自分の人生がある。自分の命があるという考えを持っているのは、欠陥人間の証拠です。

 前世におけるアダムと現世の人間の関係は、原罪と固有名詞の関係になるのです。アダムの原罪が、現世のすべての人間に及んでいるのです。ばらばらに生きている固有名詞の人間は、必ず死ぬ人間です。死ぬのが嫌なら、地獄へ行くのが嫌なら、アズ・ロードに賛成しなければならないのです。これ以外に死から逃れる方法はないからです。

​(内容は梶原和義先生の著書からの引用)

​死なない人間になりました(上巻)

​著者 梶原和義

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